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熊野速玉大社

kumanohayatama





  祭  神:上四社
       第一本社(結宮):熊野結大神(いざなみの命)
       第二本社(速玉宮):熊野速玉大神(いざなぎの命)
       第三殿(証誠殿):家津美御子命・国常立命
       第四殿(若宮):天照大神
       第五殿(神倉宮):高倉下命
       第六殿(禅地宮):忍穂耳尊
       第七殿(聖宮):瓊々杵尊
       第八殿(児宮):彦火々出見尊
       第九殿(子守宮):うがや草葺不合尊
       第十殿(十万宮・一万宮):国狭槌尊・豊斟渟尊
       第十一殿(勧証宮):泥土煮尊
       第十二殿(飛行宮):大戸道尊
       第十三殿(米持宮):面足尊
       第十四殿:奥御前三神殿
       第十五殿:新宮神社
       第十六殿:熊野エビス神社
  説  明:案内板を転記します。
      「熊野大権現・全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮である当大社は、現世
       安穏(家内安全・交通安全・願望成就・業務繁栄・病気平癒)の御神徳が
       高く熊野信仰の根元と仰がれている。
       大正四年十一月十日官幣大社に列格。
       神代の頃、神倉山(権現山東南端)に、御主神の熊野速玉大神(伊奘諾尊)・
       熊野夫須美大神(伊奘冉尊)が降臨、景行天皇の五十八年春三月(紀元7
       88年)に、現在の境内へ速玉宮・結宮の二神殿を建てて神倉山から御遷
       宮、奈良朝末期頃から神佛習合説・修験道によって熊野信仰が全国へ飛躍
       的に流布するに及び中世熊野御幸は百四十度、各地よりの参拝は『蟻の熊
       野詣』の諺を生じるほどに盛行を極め次々と諸神を追祀してて壮大な熊野
       十二社大権現の御社頭になった。
       昭和二十六年から氏子・崇敬者の御協力の下に当度御造営工事を施工・御
       本殿以下諸建物を改築して明治十六年炎上以来約百年を経て壮麗な鎌倉時
       代の尊容が再現せられた。
  住  所:和歌山県新宮市新宮1番地
  電話番号:0735−22−2533
  ひとこと:さて、ここでは、「速玉大神」についてちょっと見て見たいと思います。
       熊野速玉大社の説明では、伊奘諾尊のことである、となっていますが、日
       本書紀一書(第十)の説明では、すこ〜〜し、違うんです。

       思うところあって(笑)この全文を引用します。

      「伊奘諾尊が伊奘冉尊のおられる所へいらっしゃって、方っていわれるのに、
      『あなたがいとしくてやってきた』と。答えていわれる。『どうぞ私を見な
       いで下さい』と。伊奘諾尊は聞かれないで、なおもごらんになっていた。
       それで伊奘冉尊は、恥じ恨んでいわれるのに、『あなたは私の本当の姿を
       見てしまわれました。私もあなたの本当の姿を見ましょう』と。伊奘諾尊
       は恥ずかしいと思われたので、出て帰ろうとされた。そのときただ黙って
       帰らないで誓いの言葉として、『もう縁を切りましょう』といわれた。ま
       た『お前には負けないつもりだ』といわれた。そして吐かれた唾から生ま
       れた神を名付けて速玉之男という。次に掃きはらって生まれた神を泉津事
       解之男と名付けた。二柱の神である。
       その妻と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊がいわれるの
       に、『はじめあなたを哀しみ慕ったのは私が弱虫だった』と。このとき泉
       守道者が申し上げていうのに、『伊奘冉尊のお言葉がありまして、『私は
       あなたともう国を生みました。どうして更にこの上有無ことを求めましょ
       うか。私はこの国にとどまって、ご一緒には参りません』と』このとき菊
       理媛神が申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、
       ほめられた。ただし自ら黄泉の国を見られた。これが不祥であった。それ
       でそのけがらわしいものをすすぎ洗おうと思って、出かけて阿波の水門の
       速吸名門をごらんになった。ところがこの二つの海峡は、潮流がはなはだ
       速かった。それで橘の小門(日向)に帰られて、払いすすぎをなさった。
       その時水に入って、磐土命を吹き出された。水から出て、大直日神を吹き
       出された。また入って底土命を吹き出された。また出て大綾津日神を吹き
       出された。また入って赤土命を吹き出された。また出て大地と海原のもろ
       もろの神たちを吹き出された。」

       実は、この一書(第十)は、他の「一書」や、本文と違う要素がふんだん
       に盛り込まれている、と私は思うんです。

       まず、「速玉之男神」の誕生。
       菊理媛の登場。
       他では、「表筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男
      (そこつつのお)」とされる三神の名が、「磐土(いわつち)・赤土(あか
       つち)・底土(そこつち)」と記されている。

       そして、何より異なっていると思うのが、伊奘諾尊・伊奘冉尊の諍いの中
       身です。

       他の書では、黄泉の国にやってきた伊奘諾尊が、待っていて欲しいという
       伊奘冉尊の願いを聞かずに、腐り果て、変わり果てた妻の姿を見てしまっ
       た為、怒った伊奘冉尊が追いかけてきた・・・というような主旨となって
       います。

       が、ここでは、妻に「あなたの本当の姿を見ます」といわれた伊奘諾尊が、
       自分の意思で逃げだしたとされているんです。

       見られるのを恥ずかしいと思うような伊奘諾尊の本性とは?

       伊奘諾尊が吐いた唾が、この神社のご祭神、速玉之男の神となったという
       のも考えてみたら、意味深です。

       唾を吐くという行為はどんな意味持っているんでしょうね。
       みなさんはどういう時に唾を吐きます?
      「そんな行儀の悪いことしない」?
       そりゃそうでしょうが、ちょっとイメージだけしてみてくださいよ。

       例えば、砂漠を歩いていて、口の中がじゃりじゃりして気持ち悪いな、な
       んて時なんかどうです?

       口の中に虫が飛び込んできた・・・なぁんて時は?

       緊張して口の中がすっぱくなっちゃった・・・なんて時は口をすすぎたい、
       コップがなければ、仕方ない唾吐いてごまかそうなんて思いませんか?

       こうやって考えてみると、人間が唾を吐く時って、口の中に、汚いものが
       ある時それを出そうとする場合じゃあないでしょうか?

       また、唾って、なんなんでしょうね?
       忍者の映画なんかで、追い詰められた忍びの者が唾を吐くと、分身が・・
       ・なんてシーンありますよね?
       唾は、「自分の化身」にもなるようです。

       とすれば、この「熊野速玉神社」のご祭神は、黄泉の国の要素が強い
       伊奘諾尊の分身、と、とれるかもしれません。

       しかしそれにしても、この物語、つらつら読んでみると、ひどい話ですよ
       ね(^^ゞ

      「恥ずかしいからじっと見ないでください」
      「やだ」
      「じゃ、私もあなたをじろじろ見ますよ」
      「やだ、じゃあ別れよう。君には負けるもんか。だいたい君に会いたいと思
       った俺が馬鹿だったさ」

       とまぁ、こういう男なわけです。この物語中の伊奘諾尊は。
       あまりにも支離滅裂・・・。

       じろじろ見るというのがどういうことか(それがたとえ夫婦の間のことで
       あっても)、よっぽど深い意味があるということなんでしょう。

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