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葛上神社

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  祭  神:葛上大明神 日尻明神 三十八明神
  説  明:案内などは一切ありませんでした。
       平成祭礼データによると、祭神は、手力雄命。
       葛上大明神の別名が、手力雄命なのか、日尻明神の別名なの
       か、はたまた三十八明神?
       葛上大明神が真ん中に鎮座しておられましたから、きっと、
       葛上大明神が手力雄命の別名なのでしょうね。
  住  所:奈良県吉野郡大淀町岩壺
  電話番号:
  ひとこと:三つ祠が並んでいて、真ん中の祠にあったご祭神名が、葛上
       大明神。
       左の祠が、日尻明神。
       右の祠が三十八明神。

       右の祠は村の神様を合祀されたのかも知れませんね。

       葛上大明神は、この一帯の産土神様になるのでしょうか。

       気になるのは、左の祠。
      「日尻明神」です。
       ひじり、と読むのでしょう。
       たぶん、「聖」ですね。

       どんな神様なのでしょうね。

       堺は信太にある「聖神社」の神様と関係があるのかもしれな
       いし、葛上大明神と同じように、地元を鎮守する聖なる神様
       なのかもしれないし、もしかしたら、実在の「尊い聖人」を
       お祀りしているのかもしれません。

       詳しくはわかりません。

       さて、
       官制の僧でなく、何かの事情で世捨て人となり、道を求めて
       彷徨う僧を、「聖」と呼び、
       聖が修行する場所を「別所」と呼んだそうです。
       泉鏡花の「高野聖」は、高野山の別所で修行する聖の話とい
       うわけで・・・しょう(笑)
       読んでみます。

       そういう形で、国には認められてはいないけれども、僧形で、
       修行をする人を指す、いろんな言葉があります。

       願人、自度、沙彌、白衣などなど。
       行者や、優婆塞なども入れてもよいかもしれません。

       奈良時代も、平安時代も、室町時代も、そして江戸時代にな
       っても、このような僧形の人は、現代以上に町に溢れていた
       ようです。

       だって、食べていけないから、そうやって修行をして、施し
       を受けて、やっと食べていける人が多かったのでしょう。
       今のように、食べ物や物が溢れる時代は、未曾有のものなん
       でしょうね。

       そして、そういう僧が、全国を旅をしながらいろいろな話を
       語り広めてくれたおかげで、文化も広がったようです。

       現代でいえばテレビのような役割を果たしていたといえるで
       しょうか?

       しかし、考えてみれば、今は情報の速さだけでいえば、イン
       ターネットがピカいちですよね。

       この先、どんな機器・ツールがでるやら。
       どんな情報機器が欲しいですか?

       私は、情報で送られてきた食べ物の味が実感できるような、
       そういうのがいいなぁ〜。

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