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皇大神社

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  祭  神:天照皇大神 天手力雄命 栲機千々姫命
  説  明:栞によりますと、
      「当社は、皇祖(皇室の御祖先)天照皇大神をお祀りする神社で、正
       式社名は皇大(こうだい)神社であるが、一般にその上に元伊勢内
       宮を冠してお呼びしている。伝承によれば、第十代崇神天皇三十九
       年(紀元前59年)に、『別に大宮地を求めて鎮め祭れ』との皇大
       神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまで奉斎さ
       れていた倭の笠縫邑(現在奈良県桜井市三輪)を出御されたのが、
       いまを去る二千数十年前のはるかな昔であった。そして、まず最初
       に、はるばると但波(丹波)へ御遷幸、そのご由緒により当社が創
       建されたと伝えられている。
       皇大神は、四年ののち、御神蹟をおとどめなされて再び倭へお帰り
       になり、諸所を経て、垂仁天皇二十六年(紀元前4年)に、伊勢の
       五十鈴川上の聖地(いまの伊勢の神宮)に常永遠にお鎮まりになっ
       た。しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は、ひき
       続いて当社を伊勢神宮の元の宮として、『元伊勢内宮』あるいは、
      『元伊勢皇大神宮』『大神宮さん』などと呼び親しみ、いまに至るも
       庶民の篤い信仰が続いている」
       のだそうです。
  住  所:京都府加佐郡大江町字内宮
  電話番号:0773−56−1011
  ひとこと:崇神天皇の皇女・倭姫が天照大神を奉祭しながら各地を転々とされ
       たので、「元伊勢」と呼ばれる宮はあちらこちらにあります。
       が、「笠縫村」を出て一番始めに鎮まられたのが、この大江町にあ
       る「元伊勢・皇大神社」なのだそうです。

       もちろん、内宮というくらいですから、外宮もこの側にあります。

       ところで、この神社の社務所で面白い冊子を購入しました。
      「天照皇大御神 司命神 岩長姫命 神示録」というのです。

       つまり、天照大神が岩長姫を通じて、この「神示録」を書いた女性
       に教えを垂れたもうた、ということなのですが、内容はさておき、
       なぜ、岩長姫なのでしょうか?

       岩長姫の父親は大山津見神。伊邪那岐命・伊邪那美命の御子です。
       つまり、天照大神と岩長姫は、叔母・姪の関係になるので、縁が全
       くないわけではないのですが、天照大神の兄弟姉妹は、100柱近
       くおられます。
              
       つまり、そのそれこそ八百万の親類神の中から、「岩長姫命」を司
       命神にした理由というのが、勉強不足ながら、私には、説明できま
       せん。

       言い方を変えれば、この「神示録」を書いた女性が、なぜ、天照大
       神との仲介者が「岩長姫命」である、と感じたか・・・ということ
       にもなるのですが。

       まず、天照大神と岩長姫命の共通点は、
       天神である、ということでしょうか。
       
       次に、「生命」に関係が深いということ。
       天照大神は、太陽神ですから、生命には深く関わりますし、岩長姫
       は、「長い命」を意味します。

       そして、「姉」である、ということ。
       天照大神は、所謂、三貴神=天照大神・月読命・素盞鳴尊の中で、
       姉にあたります。
       岩長姫命は、木花開耶姫の姉として有名でしょう。

       しかし、大きな違いがあるのです。
       天照大神は、太陽の神。光輝くほど美しい神様でありますが、岩長
       姫命は、あまりの醜さに、嫁ぎ先から返されてきた、シコメである
       とされているのです。

       岩長姫命は、本当に醜女だったのでしょうか?       

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