a 西宮神社

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西宮神社

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  祭  神:えびす大神 天照大神 大国主大神 須佐之男大神
  説  明:御由緒書を転載します。
      「福の神『えびす様』の総本社として、全国から遍く崇敬を集めている西宮神社は、銘酒
       の産地として名高い灘五郷の一つである西宮市に鎮座し、その地名の由来ともなってい
       ます。御創建の年代は明らかではありませんが、平安時代の百科辞典である伊呂波字類
       抄や承安二年(1172)に行われた広田社歌合に『えびす』の名が見えるほか、高倉
       上皇の御奉幣をはじめ皇族・神祇伯の参拝がつど度々あったことが古文書に記されてい
       ます。
       鎌倉時代の正元年間(1250年代)には、既に十日えびすの祭典を厳粛に行うために、
      『忌籠』が齋行されていました。延文六年(1361)の市場祭文によると門前は『夷三
       郎殿の浜の市』として賑わっていたようです。
       室町時代になると七福神信仰によってえびす様が福の神の代表となり、また当社がその
       信仰の本拠地として人形操りや謡曲、狂言などの芸能をとおして、全国津々浦々まで御
       神徳が広まっていきました。
       戦国時代には、後奈良天皇から御寄進をうけたのをはじめ、桃山時代には豊臣秀頼、江
       戸時代には四代将軍家綱より社殿の御造営がなさrました。また徳川幕府からは御神像
       札の版権を得て全国に配布、ますます社勢が盛大となっていくと共に上方の商売経済の
       発達に伴って、福の神えびす様が商売繁盛の神として信仰さrでるようになっていきま
       した。
       明治以降は、交通機関の発達に伴って参拝者数も飛躍的に増加し、現在では一月九・十・
       十一日の『十日えびす』三日間で百万人を越える参拝者で賑わっています。」
  住  所:兵庫県西宮市社家町1−17
  電話番号:0798−33−0321
  ひとこと:ちなみに「えびす大神」と言うと、
       伊邪那岐神・伊邪那美神に「不具の子」として船に乗せて流された「蛭子」のことだと
       いう説もありますし、釣りが好きな事代主命のことだという説もあります。
       また、ガガイモの船に乗ってやってきた、少彦名命のことだとも言われます。

       西宮神社のえびす様は、そのうちどの神様なのか、どの神様でもなく、ただ、「えびす
       大神」なのか、は、わかりません。

       しかし、天照大神・大国主大神・須佐之男大神と一緒に祀られている、というのが、と
       ても興味深く感じます。

       まず、「えびす」は、「蛭子」とも書くように、「ヒルコ」命のことだ、という説があ
       ります。

       そして、天照大神の別名は、「オオヒルメ」。

      「ヒルコ」と「ヒルメ」一対の神なのではないか?
       なんて言う話も聞くんですよ(^^ゞ

       そして、大国主命。
       この神様は、勿論、出雲の国造りをしたことで有名なのですが、この神様と一緒に出雲
       の基礎を作ったのが、少彦名命とされているのです。
       そして、大国主命は、事代主命の父親です。

       そして、日本書紀一書(第十)では、素戔鳴尊は、「三年経っても足がたたなかった」
       蛭子の直後に生まれたことになっています。
       そして、「勇ましくて荒々しくて、残忍なことも平気だった」
       と、蛭子と同じく、「不満足な子」というような表現をされているのです。

       つまり、この合祀されている神々の顔ぶれを見ると、西宮神社のえびす様は、様々な
      「えびす様の顔」すべてを合わせもった神様である、といえるような気がします。

       さて、ご由緒書に、「夷三郎」とあるのに目が惹かれます。

      「夷三郎」とは、えびす様のことなようですが、なぜ「三郎」なんでしょうね?

       大和書房「日本神話事典」によりますと、
      「兵庫県西宮市の西宮神社は海岸に漂着したヒルコをエビス神として祭っている」
       とあるのですが、どうも、この「海岸に漂着したヒルコ」を「夷三郎」と呼んだ、と
       言うことのようなんですね・・・。

       気になりません?

       なんで「三郎」なんでしょう?

       いきなり「三郎」ですか?
      「一郎」「二郎」をすっとばして「三郎」??

       もしかして・・・。
      「三郎殿」がやってくる前に、「一郎」「二郎」がやってきていたのかもしれない、と
       考えるのは、私だけじゃないと思うんですが・・・。

       としたら、一郎・二郎の兄達はどこへ行ったのでしょう。

       いえ、単に、この「ヒルコ」は、「三男だ」という伝承だけあるのかもしれません。

       一郎・二郎は、流されなかった・・・と。
       日本書紀本書では、蛭子は生まれていません。
       一書(第一)では、蛭子は一番に生まれています。
       一書(第十)では、淡路島の次、つまり、二番目に生まれています。

       そして、
       一書(第二)には・・・。
       こう書かれています。
      「日と月が生まれられた後に蛭子が生まれた」

       これなら三番目ですが、もしこの伝承が元にいなっているのならば、日と月も男の子
       だということになっちゃいますね。

       日本書紀一書(第二)には「日と月」の性別は書かれていません。
       ましてや、日が天照大神のことで、月が月読命なぁんてことは、どっこにも。

       ・・・まぁ、よくはわかりません。
       
       なんにせよ、えびす大神は、長い海の漂流を経て、この地に鎮座された神なようです。
       大変なご苦労があったことでしょう。
       その神が、今、こうやって、人々の尊崇を集めていることに、何か安堵感を感じます
       ね(#^.^#)

         *********
       2005年1月10日、
       開門神事(通称・福男選び)に参加してきました。
       レポートはこちらです。

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