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大国主神社

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  祭  神:大國主大神 少名毘古那命 天照大神
  説  明:張り紙があります。
      「大國主大神 国土を治める偉大な神
       別名
       大己貴神  国土の開拓とその経営につくされた大きな功績をたた
             えた御名
       大物主神  物事を主宰する神
       葦原色男神 強く勇猛な神
       八千矛神  武威のすぐれた神
       など多くの御神名をもつ御神徳の広大さを示しています。
       その他、病気平癒・縁結び・福の神の大黒様として広く信仰されて
       います」

       また、案内板があります。
      「貴志川町指定文化財
       民族文化財(町指定第八号)
       権大明神垂迹神像(南北朝時代)
       大盛飯祭礼図(明治時代)
       大国主神社神楽殿(江戸時代中期)
              指定 昭和五十一年九月二十九日
              所在地 貴志川町国主一番地
       権大明神垂迹神像は、貴志の庄を開拓した農祖神として古来郷人に
       親しまれ、『権大さん』と呼ばれ、その御姿は農衣で左肩に鍬を担
       いでいたといい伝えられているが、今はその鍬はない。
       一木造り彩色で、身丈約三十七cm、肩幅約十九cmで、大国主神
       社に合祀されている神像である。
       大盛飯祭礼図は、古来『貴志の大盛飯』として継続されてきた祭礼
       行列を描いたものである。
       明治初年中絶のやむなきに至り、今後の復興の資料にと中西才松翁
       が中島寿靖氏に依頼し、明治十七年三月に祭礼行事の模様を描いた
       貴重な資料である。
       神楽殿は、高床式舞台造りである。当時この地方の文化殿堂として
       祭礼に際しては能舞台や神楽殿ともなった。また句会の場ともなり、
       場合によっては奉納相撲の観覧席ともなって人々を楽しませてくれ
       た。このように神事・祭礼につかわれた建物であろう。

       民族文化財(町指定弟一九号)
       大飯盛物祭(鎌倉時代より現在)
       指定 平成五年九月二十一日
       所在地 貴志川町国主一番地
       鎌倉時代末頃から大国主神社に伝わる伝統ある行事である。
       盛物とは高さ約5m、幅約3mの電球様のものを竹軸で作り、表面
       にむしろを巻き、餅をぐるりに取り付けたもので、この盛物を奉納
       する全国的にも類例のない珍しい祭りである。」
  住  所:和歌山県那賀郡貴志川町国主一番地
  電話番号:
  ひとこと:この、「大飯盛物祭」「大盛飯祭」は、もともと、龍に対して、人
       身御供を出す祭だったようです。

       国主淵に住む龍を鎮めるために、毎年娘を差し出したのだとか。

       国主淵は、大国主の神淵だといわれ、この「竜神伝説」の他に、興
       味深い、「仮面伝説」があります。
      「紀州 民話の旅」やその他の伝承を纏めると、このような内容です。

       永禄元年の大旱魃。
       どの川も淵もすっかり干上がっていた中、この国主淵だけは、水を
       こんこんと湛えていたのだそうです。
       そこで、村の庄屋は、この淵の謎を説くべく、水をすべて掻い出し
       てみることにしました。
       すると、竜宮穴があり、その前に大木が穴を邪魔していたのです。
       この大木さえなければ水がもっと出てくるだろうと考えた村人は、
       櫻井刑部に命じて大木をどけさせようとします。

       刑部がやっとのことで大木をどけた途端。
       空は俄かに掻き曇り、雷鳴が轟き、豪雨に見舞われます。
       やっとのことで、岸まで泳ぎ付いた刑部が振り返って見たものは。
       淵面を浮いたり沈んだり、嘲うかのように、漂う数々の仮面なので
       した・・・。

       という、なんだか不気味な伝説です。

       生け贄伝説といい、仮面伝説といい、この淵には龍が棲んでいる、
       と考えられていたことが伺えます。

       この淵の名前は、「国主淵」。
       大国主神社の側にあるからこのような名前が付けられたのでしょう
       か。

       それとも、本当は、この貴志川の「国」のヌシが棲む淵の側にお社
       を建てたのが、「大国主神社」の由来なのでしょうか?

       大国主と龍の関係というのがあまりピンと来ないような気はするの
       です。

       大国主の舅とも父親とも言われる、素盞鳴尊なら、八俣の大蛇退治
       から龍の関係は導きだされるのですが。

       また、彼の息子・事代主命は、鰐に化身して、恋する人の元に通っ
       たという話もあり、龍と結びつくのですが、肝腎の大国主命と、龍
       の繋がりというのが、はっきりと思い浮かびません。

       また、この「仮面」というモティーフです。
       なぜ、竜宮穴の前の大木をどかすと仮面が呪詛するように浮かぶの
       でしょう?

       仮面についてちょっと考えてみましょう。

       パーソナリティという言葉があります。
       個性・人格などと訳されますね。
       この言葉の語源は、「ペルソナ」。
       ラテン語です。
       三位一体・父と子と精霊のそれぞれの位格を表す言葉でもあり、
      「仮面」の意味もあります。

       つまり、ひとつの人間(集合体)のそれぞれの場合に被っている
      「仮面」を、ペルソナ・パーソナリティーと呼ぶのです。

       ならば、国主淵に浮かんだ無数の面は、誰の「ペルソナ・パーソナ
       リティー」だったのでしょうか?

       入り口を塞ぐ大木を退けたことと、仮面が浮き出たことが象徴する
       のはどのようなことでしょうか?

       少なくとも伝説では、刑部に悪いことが起きたとは伝えられていま
       せん。

       仮面は、「解放された」のかも知れません。

       つまり、抑圧されていた感情・願望などが一気に浮き出てきたとい
       うことではないのか、と思います。

       誰の、なんの感情でしょうか?

       この淵は、「枯れることのない淵」でした。
       水は、慈愛を意味することが多いです。
       あふれ出る・尽きることのない水を湛えた聖盃は、キリストに喩え
       られます。

       この尽きせぬ水の淵は、貪欲に、「もっともっと」と求める人間に
       その淵の抑圧されていた「仮面」を全て曝け出されてしまったので
       しょうか?

       永禄元年といえば、西暦で言うと、1558年。
       大飯盛祭は、600年以上前から続けられたとされていますから、
       西暦1400年頃に始まったのでしょう。

       つまり、大国主のことも頭にいれて、時系列に沿って並べると、

       太古   兄に何度も殺された大国主命が素盞鳴尊を頼り、紀州に
            やってくる。
       
       15世紀 淵が人身御供を求め、人々はお餅を供えることで、淵の
            主・龍神を鎮める

       16世紀 淵の大木が除かれ、仮面が浮かび出る

       となります。
       理詰めで考えると、鎮まったはずの龍神が、慈愛を湛える水を絶え
       ず人々に与えるための何かの事件があったのではないでしょうか。

       その為に、龍神は、いろんな感情を抑圧し、大木を除かれた時に、
       それらのものが一気に噴出した。

       とすると、龍神の心境の変化。
       つまり、人身御供を要求するような、荒ぶる龍神が、人々に恩恵を
       与えるようになるきっかけは、大木だったことになります。

       としたら、その大木は、大木こそが、この淵を守ってきた神木なん
       じゃないか、と思うんですけれどね・・・。

       木と紀州って言えば、大国主と同じく、素盞鳴尊の御子・五十猛神
       ですが・・・。

       関係ないだろうな〜。

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