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大歳神社

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  祭  神:大歳神 石作神 豊玉姫命
  説  明:境内案内板を転載します。
      「祭神は大歳神で養老二年二月の創建と云ふ。
       延喜式神名帳に記され、山城國鎮座社の内大社に列せられていた。
       この境内は柏の森と称し社を柏の社とも云ふ。農耕生産の神、ひいては
       方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。
       相殿に石作神と豊玉姫命を祀ってある。石作神は代々石棺などを造って
       いた豪族の祖神であり、火明命の後裔である。
       垂仁天皇の后、日葉昨姫命おかくれの時、石棺を献上し石作大連公の姓
       を賜った。
       石作連を祀った石作神社は延喜式神明帳に記され、貞観元年従五位下に
       昇格している。
       大日本史に石作神社今灰方村大歳神社内にありと記され、石作氏衰微後、
       当社に合祀さられたものである。
       石作神は昭和四十九年六月愛知県岡崎市に建立の石工団地神社に分霊す、
       豊玉姫命は海人であり彦火火出見命の后である。
       例祭は十月二十一日、氏子祭は十月第三日曜に行い、江戸中期より引続
       き金剛流家元による奉納舞あり。

       大歳神社系

       天照大神−素盞鳴命−+ +−大歳神(当社奉祀)−向日神(向日神社奉祀)
                 +−+
            大市比売−+ +−宇賀之御霊神(稲荷大社奉祀)    」
  住  所:京都府京都市西京区大原野灰方町575
  電話番号:
  ひとこと:大歳神は、不思議な神様です。

      「大歳の神様」という昔話があります。

       正直者のおじいさんとおばあさんの家に、貧しそうな旅人がやってきて、
       一夜の宿を請います。
       日は大晦日・・・つまり大歳の日ですね。

       明日は正月を迎えようという忙しい、特別な日に、宿を借りようなんて、
       ちょっと常識ないんじゃないの?

       もちろん、おじいさんもおばあさんも、そんな薄情なことは言いません。

      「むさくるしいところで、何もお構いできませんけれど、さぁ、どうぞ」

       実はその旅人は、大歳の神様だったんですね。

       おじいさんとおばあさんが朝起きてみると、客人はまだ寝ている。
      「お疲れなんじゃろ」
       とそのままにしておくと、いつまでたっても起きない。
       夕方になって、さすがにこれはおかしいと思い、旅人を起こそうとする
       と・・・。

       旅人の姿はなく、その代わりに、大きな金の塊があったとさ。

       他にもいろんなパターンがありますが、大体、「正直者が」「大晦日の
       夜に」「ありがたくないものを家に迎え入れる」ということになってま
       す。

       そして、次の朝(つまり元旦)、その「ありがたくないもの」は、金の
       塊となっています。

       ちょっと違いますが、笠地蔵もこのパターンと言えるでしょう。

       つまり、大歳神というと、素盞鳴命の御子としてよりも、大歳の日に、
       正直者を試した上に、幸を運ぶ神としての方が広く認識されています。

       記紀に登場する「大歳神」と、民間信仰の「大歳神」は、別神なのかも
       しれないですね。

       さて、古事記を見ますと、「大年神の系譜」がきちんと記されています。

      「系譜」が記載されているのは、大年神の他に、「素盞鳴命」「大国主命」
       がおられます。

       それぞれ、素盞鳴命の系譜は、八俣大蛇退治・櫛稲田姫との結婚の後に。
       大国主命の系譜は、たくさんの女性との恋物語の後に、記載されてます。

       翻って、大年神の系譜は、と見ると。
       その前に記載されているのは、大国主命のところに御緒の神がやってこ
       られたという話。
       その後に記載されているのは、天若日子が出雲に使わされた話。

       前後とも、大年神とは全く関係のない話で、何かえらく突然な印象が強
       いのです。
       その他にも、大年神についてのエピソードは見えません。

       つまり、
       系譜が書かれているということは、大年神については無視できないんで
       しょうね。

       しかし、その事蹟について描かれていないというのは、特に語るほどの
       ことがないか、
       それとも、記紀で語るのは、ちと憚られる内容なのか・・・。

       古語拾遺には、大歳神の御子である、御年神について記載されています。
       ちょっと引用してみましょう。
      「昔在神代に、大地主(おおなぬし)神、田を営もうとされた時、牛の宍
       を以って田人に食はしめき。時に、御歳神の子、其の田に至りて、饗に
       唾きて還り、状を以って父に告しき。御歳神怒りを発して、蝗を以って
       其の田い放ちき。
       苗の葉忽ちに枯れ損なはれて篠竹に似たり。
       是に、大地主神、片巫・肱巫をして其の由を占ひ求めしむるに、『御歳
       神祟を為す。白猪・白馬・白鶏を献りて其の怒りを解くべし』とまをし
       き。教に依りて謝み奉る。御歳神答へ曰ししく、『まことに吾が意ぞ。
       麻柄を以ってかせひに作りて此れにかせひ、乃ち其の葉を以って之れを
       掃ひ、天押草を以って之を押し、烏扇を以って之を扇ぐべし。若し此く
       の如くして出て去らずは、牛の宍を以って溝の口に置きて、男茎形を作
       りて之に加へ、つすだま・なるはじかみ・呉桃の葉及び塩を以って、其
       の畔に班ち置くべし』とのりたまひき。
       仍りて、其の教えに従ひしかば、苗の葉復茂りて、年穀豊稔なり。是、
       今の神祇官、白猪・白馬・白鶏を以って、御歳神を祭る縁なり。」

       つまり、御歳神は、「田圃の神様」として認識されてるんですね。

       田圃の神様である御歳神の親、しかも名前が「大歳神」。
       田圃と無関係と考える方が、無理がありそうでしょ(笑)?

       もしも、大歳神が田圃の神様で、記紀にその事蹟を書くのが憚られるの
       だとしたら、なぜだと思います?

       私は極めてシンプルに考えてます。
       つまり、大歳神は、他のいかなる神よりも・・・そう、もしかしたら最
       高神である天照大神よりも・・・重要視されていたことが、少なくとも、
       一時期はあった。
       と。

       ・・・ただ単に、「大歳神は特に何もしなかったけど、その御子達は、
       とても重要な神々だったから、系譜を残さずにはいられなかった」とい
       うだけかもしれませんけど(笑)

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