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佐伎治神社

sakiji





  祭  神:素盞嗚尊 稻田姫命 大己貴命
  説  明:境内案内板を引用します。
       文字が薄くなってましたので、読めないところは欠字としときます。
      「延喜式神名帳大飯郡小七座の一。
       若狭 神   三位砕導明神 世社記  ため創建年代其他不詳なれども考證によれ
       ば、
       景行天皇の皇子磐鹿六雁命に若狭国造を賜いし時、既に当社在りしも 如く、今より
       一千八百年以前の創建を推定せらる。
         年中神殿改造、永 年中高浜の新生二徐長社領四七町七反悉く寄進。
         社座 なりき、往昔は或いは      保田の中園池林という    とも言
       い、或いは現今の白山の地に有りとも言う。
       而して  年中当 々武田家臣逸見駿河守昌経、現在の地に遷し祀れりと伝う。
         木下宮内少 利房高浜        るに及び大いに崇敬し、 造営    
         未だ破損なかりしため     せりという。
       元和三年卜部兼英の文に
       正一位砕導大明神の行名見ゆれど、進 の年代不詳なり。正一位砕導大明神の島居扁
       額及び正保三年酒井讃岐守忠勝造営の棟札及び安永六年の造営に際し酒井修理大夫忠
       治白根一枚寄進の棟札存す。中世神仏混合の思想より、社域に龍 院(真言)を建立。
       社僧及び別に社人と称する者を以ちて奉仕奉りしが、明治の行政となるに及び、寺院
         し、新たに神職を任命。
       明治八年四月県社に列格。同四十一年四月神饌幣帛供 神社に指定せらん。」
  住  所:福井県大飯郡高浜町宮崎59−4
  電話番号:0770−72−0041
  ひとこと:「砕導大明神」とは、なんと読むのでしょう?
       地図を開きますと福井県高浜には、「砕導(さいち)山」という標高150Mほどの
       山がありますから、「さいちだいみょうじん」と読むんでしょうか?

       しかし、「砕導大明神」が鎮座まします山だから「砕導山」なのか、
      「砕導山」に鎮座されてるから、「砕導大明神」なのか、
       卵が先か鶏が先か?ですね(^^ゞ

       ただ、高浜町教育委員会刊行の「若狭高浜昔ばなし」によりますと、この神社は、男
       の神様=佐一彦の神社である、とされています。
       もし、佐一彦の神様が砕導山をご神体とした神様なのならば、この山の神様は男性な
       んですね。

       さてさて、上記「若狭高浜昔ばなし」には、佐伎治神社に関わるちょっと面白い伝説
       が載せられています。

       案内板にありますように、この神社は中世、寺院と混合してました。
      「鐘」もあるわけです。

       この「鐘」が不思議なわけです。

       むかしむかし、高浜の海岸に、立派な鐘が打ち上げられました。
       その鐘は、佐伎治神社に納められたのですが、撞くと「アネゴーン」と悲しい音をた
       てるんです。
       ・・・不気味・・・。

       調べてみるとこの鐘は姉妹になっていて、姉の方の鐘は海に沈んでいるらしいことが
       わかりました。

       そこで村人は、「姉妹は一緒におらにゃならんのぅ」と、姉鐘を引き上げようとする
       のですが、その途端!!

       空は俄かに掻き曇り突風吹き荒れ、しかもなぜか海の中の烏賊が海上一面に墨を吐く
       もんだから、海の底が見渡せやしません。

       仕方がない、村人は姉鐘を引き上げることを諦めたのでした。

       ・・・。
       また、ちょっと違う伝説も残っています。
       佐伎治神社の鐘が妹鐘で、姉鐘は海の底である、というところまでは同じ。

       ただし、この姉妹を引き合わせるのは、何も姉鐘だけを移動させなくてはならないと
       決まったもんじゃありません。
       妹鐘を沈めてもいいわけです。

       ・・・不思議なことに、妹鐘を七日間海に沈めて、姉妹を一緒にさせると、どんな旱
       魃でも雨が降るというのです。

       だから、この鐘は、「雨乞鐘」と呼ばれているのだそうで、最近では昭和十四年に起
       きた干天の時、この鐘の霊験で、雨が降ったんだそうです。

       面白いのは、どちらの伝説も「姉妹(少なくとも妹)は惹かれあいながらも、一緒に
       すると、雨が降る」ということです。

       雨が降ることは、前者ではどうも「凶兆」らしく、後者では「吉兆」らしいので、そ
       れがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。

       しかし、なんにしても、姉妹鐘を会わせようとすると、雨が降るんです。

       雨乞いの儀式がまずあって、その後でこの伝説が付加されたのだとしたら、この地域
       では、古来、雨乞いのために「鐘様の物」を海に沈める、もしくは引き上げるという
       ことが行われていたのかもしれません。

       そんでですね、そんでですねっ!!

       若狭からは少し離れてしまいますが、丹後の昔話には、こんなのがあるですよ(T_T)
      「丹後・天橋立の昔ばなし」を開いてみましょう。

       むかし、成相寺の鐘を造るとき、ある貧乏な女が、しつこく寄付を迫る寺男に対して、
      「うちにはお金はありませんから、うちの子供を持っていってください」
       と捨てゼリフを吐いちゃうんです。
       馬鹿バカばかっ!!そんなあほなこと言ったら絶対後悔するんだからっ!!

       寄付が集まり、有名な鋳物師が鐘を造り始めたのですが、これがなぜかうまくいかな
       い。
       金属を溶かして型に流し込むまではいいのだけども、なぜか出来上がった鐘には、必
       ず窪みができている。

      「あそこの嫁が、子供を寄付するちゅうとったがなんか関係あんのかの?」

       そんな噂がささやかれ出したころ、くだんの子供が行方不明になっちまいます。
       そして同時に、その頃、成相寺の鐘は完璧な姿で出来上がったのでした。

       その後・・・。
       その鐘は「撞かずの鐘」と呼ばれるようになりました。
       そう。
       鐘を撞くと、海が大荒れになり、舟が何艘も沈んだからです・・・。

       いや〜〜〜(T_T)

       この二つの鐘の伝説に関わりがあるのかどうか、わかりません。

       しかし、鐘が海に嵐を起こしたり、雨を降らせると考えられていた可能性はあるんじ
       ゃないかと思います。

       もちろん、それが、「鐘に溶け込んだ子供の悲しみのため」か、「姉妹の確執のため」
       かは、誰にもわかりませんが。

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