祭 神:瀬織津姫命 速秋津姫命 気吹戸主命 速佐須良姫命 説 明:栞には 「佐久奈度神社は天智天皇御宇八年 勅願により中臣朝臣金連 が当地において、祓を創し祓戸大神四柱を奉祀した。 当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として著名で、大 七瀬の祓所のひとつである。 文徳実録に『仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於 明神』とあって、仁寿元年名神に列した。 三代実録には『貞観元年正月二十七日奉授近江国佐久奈度神 従五位上』と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、 延喜式神名帳では名神大社に列するなど当地方の名社であっ た。 以来朝野の崇敬厚く後白河上皇は社領を加え寄進されたこと が社記にみえ、豊臣家臣渡辺勘左衛門、膳所藩主本多康俊、 石川忠総などからも社領が寄進されている。 又、『忠臣蔵』で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を 祈って奉納した絵馬が残っている。 大石家は当地の出であり、良勝は赤穂浅野家にはじめて仕え た人である。」 と、あります。 住 所:滋賀県大津市大石中1丁目2−1 電話番号:077−546−0079 ひとこと:大祓祝詞を抜粋してみましょう。 「此く聞こし食してば、罪と云う罪は在らじと 科戸の風の天 の八重雲を吹き放つ事の如く朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き祓う事の如く 大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本 を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃う事の如く 遺る罪は在らじ と 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久 那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比売という神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出でなば 荒潮の八百道の 八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と云う神 持ち加加呑 みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主という神 根国 底国に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比売と云う神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云う罪は在らじと 祓へ給ひ清 め給ふ事を 天つ神 国つ神 八百万の神達と共に 聞こし 食せと申す」 というわけで、大祓えの神様が揃っておらる神社なのです。 気になるのは、佐久那太理って?ということですね。 神社の名前とも関係がありそうです。 さくなだりとは、割く流れ=岩を割いて流れ降る清い渓流の ことを指すようです。 古代大和ことばで綴られた一万行に及ぶ叙事詩「ホツマツタ エ」には、「サクナダリ(瀧落降渓流)セオリツ姫ホノコ」 という名前が見えます。 「ホツマツタエ」とは初見の言葉だったのですが、記紀よりも まだ古い歴史書なのだそうです。 また、勉強しなきゃ(T_T) しかし、この文書に、「サクナダリ・セオリツヒメ・ホノコ」 という名前が見えるということは、この姫神は、古くから、 祓いに関係していたのでしょうね。 この神社にきて、いろんなことを洗い流されては如何でしょ うか?