祭 神:天児屋根命 中筒男命 誉田別命 説 明:境内看板によりますと、 「創建は、弘仁四年癸巳年八月九日藤原鎌足六世の孫従四位民 部少輔片岡綱利により創建された古社である。 志都美神社は、香芝市今泉に位置するが江戸時代には上里村・ 今泉村・高村の五ヶ所の氏神であり、厚い信仰を集めていた。 特に明治十三年八月にコレラが流行し氏子が氏神に侵入防止 を祈願した結果、ひとりの患者も出なかったのを喜んだ人々 が感謝の意味で本殿背後石垣に『明治十二年八月虎列社病流 行氏子祈願無一人患者無人数叶奉納』ときざみ奉納した記念 碑がある。 日本へコレラが最初に侵入したのは文政五年で第二次流行の 安政五年は日本中をコレラ流行禍にまきこみ死者二万八千人 に達した。明治に入ってから同十二年に全国に流行しての余 波が十二年にまで及んだという。死者が出ないということは 本当にお珍しく、ご神徳がうかがえる。 また本神社の神宮寺として清水山明王院が明治の神仏分離令 が出るまであり、現在明王院という石灯篭が一基残っている。 ある日盲目の法師が境内にある井戸で目を洗うと水の霊験で 目があいたという伝説があり、それゆえ一時期清水八幡宮と 呼ばれた時代があった。今も手水舎の石に八幡宮の文字が残 っている。 本殿裏の社そうは椎の木を中心とした原生林で県指定の天然 記念物となっている。 万葉集(巻七一.九)に 『片桐のこの向う峰に椎蒔かば今年の夏の陰にならむか』 とある。椎の原生林とかさね合わせばこの附近ではないかと 思われる。歌碑は、神社参道入り口右側にある。」 とあります。 住 所:奈良県香芝市今泉592 電話番号: ひとこと:武烈天皇陵に隣接した神社です。 この御陵との関係は顕かではありませんが、無関係というこ とはあり得ないでしょうね。境内末社の「神篭之社」は、御 陵の中にあります。 志都美神社の創建は、西暦813年。 武烈天皇の崩御は、西暦506年。 307年のブランクがありますから、志都美神社=武烈天皇 陵を祀る神社とは言えないとは思いますが。 ところで、藤原氏が建立した神社ですから、藤原氏の祖神の、 天児屋根命が祭祀されているのは、納得がいきます。 誉田別命も、人気の高い神様ですから、後に合祀されたのか もしれませんし、創建時に、武勲の神徳を仰いで、祀られた のかもしれませんね。 が、なぜ、三筒男命のうち、中筒男命だけ、祀られているの でしょうか? この神だけ、他の2柱の神を差し置いて祭祀する理由はなん でしょうか? さて、三筒男命は、オリオンの三ツ星を表す、という説があ ります。 「住吉三神」とも呼ばれる、海の守り神で、海洋民族・安曇氏 が奉斎する神様でもあります。 同じような神様に、「宗像三女神」があります。 この女神達も、オリオンの三ツ星である、と言われ、海の守 り神で、やはり海洋民族・宗像氏の奉斎する神様でもありま す。 この女神達のうち、長女は多紀理姫、次女は市寸嶋姫、三女 は、多岐津姫。 三筒男命の生まれた順番は、まず底筒男命、次に中筒男命、 最後に表筒男命です。 少々強引ですが、この三神をそれぞれ対応させるとすれば、 多紀理姫=底筒男命 市寸嶋姫=中筒男命 多岐津姫=表筒男命 と言えるかも知れません。 男3兄弟神は、別々に語られることはないのですが、なぜか、 女3姉妹神は、別々に祭祀されたり、それぞれに性格がはっ きり語られたりします。 記紀に三姉妹が別々に登場することはないので、宗像氏が、 所持している伝説の中の性格づけなのか、後世になってから 作られた性格なのかはわかりませんけれど。 それによりますと、市寸嶋姫は、美女であると共に、芸術の 守り神でもあります。 だから、中筒男命も芸術の神様・・・ってのはあまりにも、 無理がありますね。 しかし、男三兄弟よりは、女三姉妹のが詳しいってのは、や っぱ男はむさ苦しいっていう判断でしょうか。