祭 神:墨坂大神 (天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大物主神) 説 明:栞によりますと、御由緒は 「日本書紀によれば神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのに わ)を築かれ、天皇みづから皇祖天神を祭祀され『この地を上小野 榛原(かみつおのはりはら)、下小野榛原という』とある。 その下小野榛原が即ち墨坂の地である。現在は西峠地区内にあるが、 神武天皇の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がいこ り炭(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田 川を堰き止め消火して進軍した所でもある。 この墨坂で当時から祀られていた神々を文安六年九月(西暦145 0年)に現在の下萩原字天野に遷座されたものである。 天野の地は天富命の邸跡とも伝えられ、明治初期まで神宮寺として 遍照山薬王院天野寺が神仏混合で祀られていたため六所権現とも又 天野宮とも称されていた。 又新抄勅格符抄によれば天応元年十月十四日(奈良朝末期で西暦7 81年)『墨坂神一戸信乃』と記されており現在御分社として長野 県須坂市に墨坂神社が二社あるところから天応年間には信濃にまで 神領があった大社であったことがうかがわれる。 昭和五十六年の式年御造営に当り境内地拡張のため本殿を旧地から 南七間の地に遷座された。」 そして、ご神徳は 「日本書紀によれば崇神紀の九年春三月(西暦380年)国中に疫病 が蔓延したため天皇は、いたく悩まれていた時、或夜御夢に神人が 現れて『赤盾八枚、赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚、 黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ』と告げたので天皇はその教えに 従って祀られたところ、たちどころに疫病は平癒し天下安泰となっ たと記されており、この墨坂の神は当神社の御祭神で大坂の神は北 葛城郡香芝町逢坂の大坂山口神社の御祭神であるが、いづれも古代 大和における東西の重要な道路を守る神々であることから、当社は 厄除、地鎮方除、病気平癒、交通安全等の祈願による参詣者が多い。 又天武天皇白鳳元年十月(西暦673年)大来皇女を使者として、 金幣一対を奉幣されたとも伝えられている。」 とあります。 住 所:奈良県宇陀郡榛原町大字萩原字天野 電話番号:0745−82−0114 ひとこと:赤盾と赤矛で祀れ、といわれたとある通り、赤色が鮮やかな神社で す。 古くから境内末社として祀られていた神様に、 「市岐島神社 市岐島姫神」 「菅原神社 菅原道真公」 「恵比須神社 少彦名神」 「八幡神社 誉田別神」 「祓戸神社 瀬織津姫神 速開都姫神 気吹戸主神 速佐須良姫神」 「竜王宮 罔象女神」 があります。 ん???恵比須神社の祭神が少彦名神? これは珍しい。 恵比須神社の祭神は、蛭子神か、事代主神ばかりというわけでもな いのですね。 事代主と少彦名命は、大物主命つながりですね。 両名とも、大物主命の有能な補佐です。 直接に関わったこともあったのかも知れません。 事代主命は釣りが趣味で、少彦名命は船に乗れますから、二人で、 海釣りに行ったりしたのかも知れませんね。 さて、墨坂大神・六柱のうち、大物主以外の神様は、天御中主命か ら続く、「神代七代」の神様です。 つまり、神道で言う「天地創造」に関わる神々です。 反対に言えば、大物主命だけが、天地創造に関わっていないのです。 それどころか、天津神ではなく、国津神であられます。 ただし、大物主命は、「葦原中国」の国造り神です。 そういう意味では、具体的に「国の創造」をしたのは、この神であ ると言えますね。 この神社に祀っておられる神様は、抽象・具象両面においての国の 創造に関わった神様なのでしょう。 一年の初めにお祈りしておきたい神様ですね。