祭 神:建玉依比古命 豊玉比古命 建玉依比売命 豊玉比売命 説 明:栞によりますと 「由緒・沿革: 当神社は、第三代安寧天皇片塩浮穴宮跡といわれる浄地に祭祀され、 第十代崇神天皇の御勅祭に預かり給い、延喜に制には大社に列し、 並大・月次・新嘗案上の官幣に預かり、神護元年神戸を領し、貞観 元年神階従五位上に叙せられ従一位は園の大暦にみえ、享保二年正 一位に進み給ふ。元和二年迄は、葛下郡八十六ケ村の総社(郷宮) でありました。 明治二十四年内務省より古社保存資金下賜、昭和四年には宮内省よ り大礼建造物の一部下賜、次いで昭和五年の営繕に際し、同年八月 伊勢ない宮正殿の御梁・御桁、其の他古殿舎材の御下賜があり、昭 和七年天皇陛下より幣帛料の御奉納あり、往昔より皇室の御崇敬、 国家の待遇厚く、地方の霊社として氏子崇敬者の尊信浅からず、昭 和六年県社に列せられ、昭和四十一年には、神社本庁の別表に掲げ る神社に加列されました。 御神徳: 当社の御祭神は、神魂神の御子にして亦の名を多久虫玉命(新撰姓 氏録・神祇志料)・天御食持神・手置帆負命(古史傳)とも申し、 この三つの御名によって御神徳を拝し奉ることが出来ます。 天の御食持の大神は、五穀及び種々の野山の幸、又は衣食の事を司 り給い、人の長寿を守り給ふ。手置帆負命は、宮殿を初め家造りや、 諸種の器具を作り給いて、住居のことを守り給い、多久虫玉の大神 はタクミの御魂、所謂心魂の活動と知識の事を守り給い、更に建玉 依比売は和合・家業反映を守り給ふ神で、御高風優れ、人類総ては 此の神の恩恵に洩れる者はありません。御夫婦の神が同じ処に鎮ま り給い、延喜の制には二座とも大社に列し、官幣に預かり給いし目 出たきお社は世上稀であります。 旱魃の年には雨乞い祈願(一社相伝)が行われ、その霊験あらたか なる事は世人のよく知るところであり、夏祭は七月八日の梅雨のさ なかに斎行されています。 又、土木建築業者の崇敬は他社を超越したものがあり、最近は御夫 婦の神の御加護を願う神前結婚式が数多く挙式されるようになりま した。当神社の亦の名を、『石園座大社竜王宮』とも、『竜王さん』 とも『ジョウサン』とも呼ばれ、氏子や崇敬者から親しまれ、その 信仰は昔日と異なるところがありません。」 とあります。 住 所:奈良県大和高田市片塩町15番33号 電話番号:0745−52−6855 ひとこと:「竜王宮」「豊玉」など、山幸彦(火明命)が釣り針を探して、頼 った神々と関連の深い名前が目立つ神社です。 上賀茂神社の説明によると、建玉依比古命と建玉依比売命は、賀茂 建角身命と伊賀古夜比売の、御子で、建玉依比売命は、大山咋神と 婚姻して、賀茂別雷神を産んだとなっています。 つまり、建玉依比古命と建玉依比売命は、兄妹であって、夫婦じゃ ない・・・と。 但し、神社の説明では、御夫婦神となっていますので、他の可能性 を考えてみましょう。 山幸彦が、海幸彦の釣り針をなくして、海神の宮にやってきたとこ ろ、海神の娘・豊玉姫は、山幸彦に一目惚れして、結婚します。 よって、豊玉姫の婿ということで、山幸彦のことを、「豊玉彦」と 呼ぶことがあるようです。 そして、豊玉彦(山幸彦・火明命)と、豊玉姫の子供は、鵜葺草葺 不合尊。その奥さんは、玉依姫です。 玉依姫は、鵜葺草葺不合尊にとって、妻であると同時に養母でも、 あります。 そんなことから、鵜葺草葺不合尊のことを玉依彦と呼んだのかも、 知れません。 鵜葺草葺不合尊と玉依姫の息子は神武天皇ですから、日本建国とい う意味で、父母に「建」という文字を冠した、ということも考えら れます。 しかし、なんとも納得がいきません。 どんぴしゃの名前の神様が上賀茂神社にいらっしゃるんですからね。 何もわざわざ、苦しい付会をして、鵜葺草葺不合尊を持ってくる必 要があるでしょうか? しかし、祭神が「加茂族」であるのと、「神武の子孫」であるので は、大きな違いがあります。 だから?ねぇ、だから?