祭 神:依羅連祖神・饒速日命 説 明:依羅連(よさみのむらじ)は、「新撰姓氏録」(九世紀初頭成立の 氏族名簿)によると、 「その祖先は、(朝鮮半島の)百済の国人で素禰志夜麻美君である」、 とあります。 また饒速日命十二世の孫懐大連の後であるという説もあるようです。 饒速日命は、物部氏の祖神としても有名です。 当神社は、式内社です。 住 所:大阪府羽曳野市尺度 電話番号: ひとこと:饒速日命は、記紀にも、勿論登場する神様です。 ただ、記紀では、瓊々杵尊よりも先に天降りしながらも、その子孫 (曾孫)である神武天皇に、従う神様として描かれています。 義兄である、長髄彦を殺いてまで、平伏した神武天皇の曽祖父であ る瓊々杵尊より前に降臨してる・・・若く見積もっても、この時、 100歳は越えてるんじゃないでしょうか? しかし、先代旧事本紀では、饒速日命は、瓊々杵尊の兄であること になっています。 彼が天照大神に選ばれて、十種の瑞宝を携えて天下りするのです。 そして、彼は、長髄彦の妹・御炊屋(みかしきや)姫を娶り、宇摩 志麻治(うましまぢ)という子供を設けるのですが、この子供が生 まれる前に、饒速日命は亡くなってしまうのです。 そこで、天照大神は、饒速日命の弟・瓊々杵尊を続いて降臨させる ・・・そういうストーリー展開になっています。 いえ、まだ読み込んでいませんので、違うストーリーである、とわ かれば、書き直します(^^ゞ 宇摩志麻治は、記紀では、ちらりと出てくるだけですが、先代旧事 本紀では、参謀として、もののふ(武士)として、活躍し、神武天 皇を助けます。どちらが正しいのでしょうか? 饒速日命は、物部氏の祖神です。 宇摩志麻治は、勿論、物部氏の祖先です。 記紀編纂時、記紀編纂者にとって、物部氏に功績があったとしたく ない理由があったのでしょうか? この時、物部氏は、滅んでいたというのに。 さて、この神社は、明治40年に富田林市宮町にある美具久留御魂 神社に合祀され、郷社から府社に昇格したのだそうですが、美具久 留御魂神社の摂社・利雁神社の祭神は、天児屋根命・八幡大神とな っています。 実は、依羅連は、天美地区(7〜8世紀頃は、河内国丹比郡依羅郷 と呼ばれた)を本拠地としていた、という説が強く、なぜ、羽曳野 市尺度に、この連の祖神が祀られているのかは、謎ですね。