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海積神社

wadatsumi





  祭  神:海積豐玉彦命
  説  明:太田地区にあった看板を転記します。
      「大蛇・・・昔、海津神社の森に大蛇が住んでおり、毎年娘を一人
       ずつ人身御供としていました。これをしないと村に五穀実らず、
       田野山林が荒れ損じるなど不時災難が起こるとされていました。
       いつの頃からか、その代わりに毎年、大神楽を奉納するようにな
       ったと伝えられています。
       また、夏祭り当日は古来小麦を酢で練って塩につけ、人身の匂い
       のするボソロを御膳に供する習慣もありましたが、こんな習慣が
       原始信仰の人身御供の名残として現代人の生活の中に行き続ける
       好例となっているようです。」
  住  所:奈良県北葛城郡當麻町太田602
  電話番号:
  ひとこと:このボロソを供えるのは、どうも、7月1日に行われる夏祭りの
       時のようです。

       さて、ところで、「棚機女(たなばたつめ」という言葉をご存知
       ですか?

       折口信夫氏の説らしいのですが、日本では、毎年7月(今は七月
       は中夏ですが、ちょいと昔は、七月といえば、もう初秋になるん
       ですね)に、豊作をもたらす神を迎えるべく、水辺に機屋を作り、
       乙女が、機を織って神を待ったというんですよ。
       その乙女を「棚機女」と呼びます。

       現在の七夕祭りは、この「棚機女」風習と、中国からやってきた、
       牽牛と織姫の星祭が、混じったものだ、と折口氏はおっしゃって
       おられるのだそうな。

       これは、なんとなく説得力があります。

       おとぎ草子に見える、七夕物語をご存知でしょうか?
       別名「天稚彦物語」。

       大蛇が、長者の娘を嫁にしたいと申し出てくるのです。
       三人の娘のうち、末娘がそれを承諾し、川の側に建てられた、小
       屋で待機しています。
       震えているところに、大蛇がやってきて、
      「怖がらなくていいから、私の頭をちょん切りなさい」
       と言うのです。
       娘が言われた通りにすると、大蛇は美しい美青年・天稚彦の姿に
       戻ったのでした。

       この後、二人の冒険物語が始まるのですが、この冒頭、「川の側
       に建てられた小屋」「乙女」などが、棚機女を思い出させます。
       この末娘、棚機女だったのかもしれませんね?

       そして、この海津神社にある伝説、蛇に乙女を年に一度捧げてい
       た、という話・・・。

       実は、この神社より西に500メートルほど。
      「棚機の森」があり、「棚機神社」が祀られています。

       とすると、棚機女と「蛇」には、深い関わりを感じずにはいられ
       ませんね。
       なんにせよ、水辺の神と、蛇ってのは、ちょっと考えてみれば、
       縁がありそうです。
       水の女神・サラスバティー(弁天様)の神使いも蛇ですしね。

       さて、天稚彦にちょっとこだわりましょう。
      「稚」。「わか」と読みますね。
       この名前、ざっと見れば、単に、天にいる、若い男という意味の
       名前で、特定の個人を指した名前とも思えません。
       そんな特定ではない男の嫁にくる女性。
      「神の花嫁」ってことでしょうか?

       日本書紀に、同じく「稚」という字のつく女性がでてきます。
      「稚姫」。
       彼女は、スサノオにより殺されてしまいます。
       そう。天の機屋で織物をしている時に、です。

       こじつけかな?こじつけかも。
       でも、「稚」という字と、「機」は、なぁんとなく、なんとなく、
       縁があるような気がします。

       さて、天稚彦は、記紀では、出雲に国譲りの交渉にでかけ、その
       まま出雲側に寝返ってしまった神様である、とされています。
       出雲の王の娘・下照姫を妻にして、出雲を離れ難くなったような
       のですね。これが。

       この下照姫が、記紀の中で詠んだ歌を転記しましょうね。

      「天(あま)なるや 弟棚機(おとたなばた)の頸(うな)がせる 
       玉の御統(みすまる)、御統に 孔玉(あなだま)はや。
       み谷(たに) 二(ふた)わたらす阿遅志貴高日子根(あぢしきたか
       ひこね)の神そ。」

       ぎょぎょ。「弟棚機」??

       おとぎ草子と、記紀の伝説をごっちゃにしてひとつの物語を作ろ
       うとすると、冒頭部分はこうなります。

       高天原から、天稚彦と名付けられた、若い蛇がやってきて、出雲
       に、「国を譲り渡せ、そうでなければ、乙女を一人出せ」と要求
       した。

       生贄の「棚機女」に選ばれたのは、下照姫。
       蛇であるところの天稚彦は、下照姫の美しさに、神の姿に戻り、
       彼女の国に長く留まったのであった。

       この神社の「蛇」に捧げられた「棚機女」の最後はどなただった
       のでしょう?

       なぜ、生贄の風習は終わったのでしょうか。
       奈良市にある倭文神社の伝説では、英雄がでてきて、蛇神を退治
       するのですが、この神社の伝説にはそれは見えません。

       蛇が棚機女に恋をして、本来の神様の姿に戻ったのかも・・・。

       ちなみに、倭文神社の総本宮と言われる、葛城倭文神社の旧社地
       は、前出の、「棚機の森」にあった・・・と言われているとか。

       倭文・・・しずおりの布。
       やはり、織物と生贄の処女の関係は何か、「におう」のです。

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