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八雲神社

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  祭  神:素盞鳴尊 櫛稲田媛命
  説  明:明治以前、牛頭天皇社は、全国各地にありました。
       が、慶応四年(西暦1868年)3月28日に出された、神仏判然令に
       より、「牛頭天王」という社号が禁止となったため、「八雲」「祇園」
      「八坂」「進雄」「素盞嗚」社などに改称されたんだそうです。
  住  所:奈良県大和郡山市筒井町
  電話番号:
  ひとこと:所謂、神仏分離の為に、神社側はいろいろな工夫を強いられ、寺など、
      「国家神道」の邪魔をするものは、弾圧されるという。あんまり良い法
       律じゃなかったのですね。
       そりゃ、「神の国」を強調するための、権力者に都合のよい法律なん
       だから、しょうがないのかも知れませんが・・・。

       さて、素盞鳴尊は、非常にあちらこちらで祀られていますし、私の神
       社紹介でも、この神様についてはいろいろ書いちゃってます。

       そこで、今回は、素盞鳴尊の「追放者」という性質を見てみたいと思
       います。
       ご存知の通り、素盞鳴尊は、姉である天照大神が支配する高天原で、
       やりたい放題・乱暴三昧の日々の後、八百万の神に、鬚や爪を剥がれ
       て、高天原から追放されます。

       高天原に逆らった神としては、天稚彦がいますが、こちらは、殺され
       ていますね。
       追放される神とは、どういう神でしょう。

       まず考えられるのは、「先住の神が、後着の神に戦争で負け、追い出
       される場合」です。
       このように考えると、
       元々、「高天原」と後に呼ばれる地帯を支配していた素盞鳴尊という
       王がいた。
       が、この素盞鳴尊に、「後に、八百万の神と呼ばれる、天照大神率い
       る神々」が、戦争をしかけた。
       戦争の結果、素盞鳴尊は負け、「八百万の神」に、追放された。
       そして、その後、「八百万の神」は、自分達に都合よく辻褄を合わせ
       るために、乱暴者の素盞鳴尊像を作り上げ、神話とした。
       なんていう想像がパッと浮かびます。

       こういったことは、珍しいことではありませんし、例えばキリスト教
       なんて、土着の神々を悉く「悪魔」扱いすることで、布教してきたの
       ですから、「八百万の神々」が、別段悪いとは思いません。

       さて、次の想像は、「ある神をスケープゴード(生け贄の山羊)とし
       て、厄払いの為に、追放した場合」です。

       古代において、「どうしようもない恐ろしいこと」は、現代よりも、
       よっぽど多かったことでしょう。
       疫病も、現代ならば、ある程度以上避けることができますが、古代で
       は、ただ、自分に伝染らないよう、戦々恐々としているしかなかった
       でしょうし、雷だって、現代では避雷針により、大事な場所への落雷
       は避けられますが、古代の人々には、そういう知識はありません。

       そんな恐ろしいことが蔓延している時代、人々は、厄(恐ろしいこと)
       から逃れるために、「身代わり」を設定しました。
       厄を移して燃やし上げる「人形(ひとがた)」
       厄を移して流す「流し雛」
       そして、厄を移されたあげく、追放されるのが、「追儺の鬼」なので
       した。
      「追儺の鬼」も、元々、人間が鬼の扮装をして、目に見えない「悪鬼」
       を脅かして、退散されるものだったのだそうですが、それが、変化し
       て、鬼の扮装をした人間そのものが追放されることになったのだそう
       です。
       その方が、「鬼が自分の境界から、去った」こと、をイメージとして、
       強く感じることができるからでしょう。

       こういったことは、多分、いろんな国でも見られるのではないでしょ
       うか。
       究極の例は、イエス=キリストでしょうか。
       彼は、救世主と呼ばれ、贖罪者とも呼ばれます。罪を贖う者なのです。
       だから、彼は、十字架にかけられねばならなかったのでしょう。

       ケルト民話を読んでいると、「罪を喰う人」なる題をつけられた物語
       がありました。
       亡くなった人間があまりに罪深かった場合、その罪を一旦海に捨てね
       ばならない。
       そうせねば、亡くなった人間は、審判の日まで、その「罪」達に、い
       じめ抜かれるのだ。
       そんな考えが、ケルトのキリスト者にはあったようです。

       やり方は、簡単。
       死者の裸の胸に、皿を置きます。そして、できたてのパンのひとかけ
       を皿に乗せ、周りに塩をまきます。その上に水を注ぎ、また塩をひと
       振り、パンにもまた一振り。
      「そなたの胸においたこの水を、なんじの罪と共に飲み干そう。罪よ、
       もしもお前を水とともに流しされぬのなら、われへ来るとも、なんじ
       そこに残るなかれ」
       そして、皿を死人の頭の上で東西に三振り。
       そして、同じような呪文の後、残りのパンをまた死人の頭の上で東西
       に三振りした後、やはりこれを食べます。
       これで、罪は、水を飲み、パンを食べた者に移ったのです。
      「罪を喰った人間」は、そのまま旅に出て、海にこの罪を捨てねばなり
       ません。そして、その村に二度と戻ることはできぬのです。

       素盞鳴尊が、「身代わり人形」だったのだとしたら、高天原の神々は
       どんな厄災を、彼に押し付けたのでしょうね。

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