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足羽神社

asuha

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笏谷石で作られた鳥居





  祭  神:継体天皇 大宮地之霊
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「福井市足羽山鎮座・式内・足羽神社は、継体天皇御自創の特長と、御創立以来一五〇〇有余年という歴史と
       不快信仰を雄姿、越前祖神と称される神社です。
       古来朝廷を始め、世々の将軍、国主等によって尊崇の祭典を執り行ってきました。中でも桓武天皇・文徳天
       皇、朱雀天皇におかれては神位を授けられ、宇多天皇におかれては右大弁(律令制の官位)によって、毎年
       十一月に十七日間の『鎮魂祭斎行之儀』を宣下せられました。また世々に御厨地を置かれるなど、神田地や
       臨時祭、神職等に関して、源頼朝を始め、将軍足利家、国主朝倉家などなどの古文書や国史旧記等に歴然と
       記されています。
       しかし天正兵乱の際、社家の多くは滅び、神田は廃れ、神威もわずかに残るのみとなりますが、柴田勝家が
       この国を治めるに当たり、足羽の神を深く尊信して、社殿を修理し祭供をされる事により、著しくその社格
       を落とすまでには至りませんでした。その後は国主松平家の崇敬が深く、神供物として毎年米ニ十俵を献じ
       たり、創立鎮魂祭の年を機嫌とし、五十年毎に『勅許宣命』並びに『御宸筆』を受け式年大祭を斎行するの
       を定例とされました。」
  住  所:福井県福井市足羽1-8-25
  電話番号:0776-36-0287
  ひとこと:足羽山は有力者が葬られ、謎多き足羽神を祀る古社が鎮座し、福井でしか採れない笏谷石を産する嶺北最大
       の聖地。
       笏谷石は「フクイブルー」とも呼ばれるようで、時の権力者が愛した石です。
       足羽山から見つかった権力者の棺も、この石で作られていました。
       
       この棺はほぼ未盗掘で、発見された当時は大騒ぎだったようです。
       被葬者は男女の二人。
       女性は40代ごろで男性は20代ごろ。
       女性の方が先に埋葬され、後から男性が埋葬されたと考えられるそう。
       
       また、頭を揃えて埋葬されておらず、互い違いになっていること。
       双方の頭の上に鏡が安置されているも、女性の鏡の方が格段に立派なものであったことがわかっています。
       
       では、この二人の関係は?
       
       女性の方が先に葬られていて、40代。
       後から埋葬された男性が20代。
       
       ということは女性の方が20歳は年上だっていうことになります。
       
       親子としても、あの当時なら離れすぎである気もします。
       
       女性の方が格上扱いされていたということは、女系の氏続だったかもしれませんね。
       
       足羽神は、生井(いくい)神・福井(さくい)神・綱長井(つながい)神の井戸三神、そして波比祇(はひき)
       神と共に、坐摩(いかすり)神と呼ばれます。
       記紀神話には登場しないのですが、たとえば出雲では、木俣神の産湯として、八上姫が生井・福井・綱長井を
       掘ったという話もあったりして、記紀には取り上げられないまでも、重要な神だったかもしれません。
       
       坐摩神と呼ばれるのは、大阪の式内大社・坐摩神社のご祭神だから。
       神功皇后が三韓から凱旋した際、この神社を祀ったとされますから、戦の神なのか、旅の神なのか……。
       
       いろいろ謎が多いのです。
       
       ただ、福井市立郷土歴史博物館の展示によれば、足羽山近辺は、往古阿須波(あすわ)氏が支配していたとか。
       とすれば、被葬者は阿須波氏の首長なのかも。
       
       なにしろ、この神社は重要だと思うのです。

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