祭 神:底筒男命 中筒男命 上筒男命 (配祀)別雷神 少彦名命 説 明:ご由緒書を引用します。 「東に霊峰白山、西に荒海日本海、眼下に源平古戦場の梯川を見下ろす景勝の 地、ここ加賀ノ国安宅、二堂山(海抜十五メートル)の頂きに安宅住吉神社 は鎮座されています。 古くより陸・海路の要所として栄えた北国の港安宅の地に祀られる当社は 『安宅の住吉さん』として親しまれ、昔は安宅住吉大明神・二宮住吉大明神・ 住吉宮とも称されました。 その創建は古く、歴史を遠く遡る事一千二百有余年、奈良時代天応二年 (782)で、琴佩山に御鎮座されました。天暦二年(948)鷹降山に天正 五年(1577)小倉野に御遷座され、さらに正保四年(1647)現在の 二堂山に御遷座されたのです。その名は古典にもしばしば見られ、北陸道往 来の人々が必ず詣でた古社で、古来人生に於ける道先案内の神、開運厄除、 交通安全、縁結びの霊神、特に全国唯一の難関突破の守護神として多くの信 仰を受け、『縁ありて社頭に詣づる人、誠を込めて神前に祈りを捧げれば、 その祈りは必ずや成就されん。』と云われております。」 とあります。 住 所:石川県小松市安宅町タ17 電話番号: ひとこと:歌舞伎勧進帳の舞台ともなった安宅の関に鎮座する神社です。 創建は延喜の時代より古いのですが、神名帳には記載されておらず、いわゆ る「式外社」ということになるのでしょうか。 宮司さんに「なぜ神名帳に記載されなかったのでしょう?」と質問してみま したが、「小さい神社だったからでは」とのことでした。 私個人が気になっているのは、弁慶が安宅氏の一族であるという説があるこ と。 安宅氏は海軍を有することでも知られる海の民ですね。 この後、石川県には「義経の船隠し」と呼ばれる場所がありますし、須須神 社では義経一行が時化にあったという伝承が残されています。 つまり、少なくとも安宅以降、義経たちは海路を行ったという考えがあった ということでしょうね。 とすれば、海軍を指揮する安宅氏の出であった弁慶は活躍したこと間違いあ りません。 気になりますよね?