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衣奈八幡神社

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胞衣塚





  祭  神:誉田別命 息長帯姫命 比売大神
  説  明:境内案内板から転載します。
      「当神社は、貞観二(860)年に創建され、古の紀伊国海部郡衣奈荘の産土神として鎮座まします神社です。
       創建の由来は、神功皇后が三韓征伐の後畿内に帰るとき、忍熊王等の反乱に遭い、武内宿禰に皇子(応神天皇)
       を託し、その船は南海より進み、紀伊水門(現在の大引浦)に停泊しました。その時、土豪岩守が大御酒、和
       布を奉りこれを迎え、衣奈の地へ導いて、行宮を設けたと伝わります。その行宮の跡が現在の鎮座地となりま
       す。
       室町・戦国時代は、湯河氏の祈願所として崇敬篤く、社運隆昌を見ましたが、天正十三(1585)年羽柴秀吉に
       よる紀州平定のための兵火にかかり、本殿、拝殿、末社十七社、楼門、六僧房他が焼失しました。その後、徳
       川頼宣公が紀伊国の藩主となり、当社も再建されましたが、旧観を復するには至りませんでした。明治に至り、
       神宮寺が廃止され、各字でお祀りしていた小祠を当神社へ合祀して、現在に至ります。」
  住  所:和歌山県日高郡由良町衣奈
  電話番号:
  ひとこと:少なくとも二度は参拝しているのに、なぜかアップしていなかった神社です。
       なぜなんだろう?
       
       応神天皇の胞衣が埋められたと伝わる「胞衣塚」もあるのに、なぜ写真さえ撮ってなかったんだろう……。
       すごく謎です。
       
       近いうちに参拝して、写真を補充しますが、とりあえず今は、神社前の段々畑の写真を。
       
       胞衣……つまり胎盤が神聖視されるのは、なんとなくわかります。
       子宮の中の赤ん坊を包み込み、保護していたのが胎盤ですから。
       瓊瓊杵が降臨する際に包まれた真床追衾も、胎盤と同じ意味なんじゃないだろうか。
       
       西洋でも「頭巾をかぶった赤ん坊は幸せになれる」なんて話しがありますね。
       この「頭巾」は胞衣のカケラだったはず。
       
       武神・応神天皇の胞衣であれば、そりゃもう強力でしょうね。
       
       ……なんでアップどころか、写真撮影してさえないんだろう……。
       謎すぎる。
       
       そしてなぜか境内案内板の写真はありました。
       謎だ。
       
       ということで、改めて参拝しましたので、写真差し替えます。

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