祭 神:大山祇神 説 明:境内の案内板を転載します。 「巖鬼山神社の由緒は古く、延暦十五年(796)、岩木山北麓に巖鬼山西方 寺観音院が建立されたことに始まり、坂上田村麿の蝦夷平定祈願のため再建 されたと伝えられる。 また、文安五年(1448)に社殿が野火によって焼失したため、長見氏に よって再建、その後、藩祖津軽為信が修復したほか、慶長九年(1604) にはその子信建が『津軽惣領主宮内大輔藤原臣』銘の鰐口(県重宝)を奉納 している。 やがて百澤寺に併合されたが、神社は元禄四年(1691)に氏子によって 再建され、明治六年(1873)巖鬼山神社と改称した。 本殿や厨子は、近年津軽地方の小仏堂が神社に変わった典型的なもので、細 部の様式などもよく時代の特徴を残している。 また、多すぎは樹齢千年以上、鷹さ四一メートルを越える巨大なもので、県 内にはこれに勝るものがなく、神社の歴史を語るとともに、津軽三十三観音 の巡拝者をはじめ、多くの人々の信仰を集めている。 住 所:青森県弘前市十腰内字猿沢78 電話番号: ひとこと:角川書店『日本の伝説25 青森の伝説』にはこんな風に紹介されています。 「岩木山を弘前から望むと、山の字形に三つの頂が並んで見える。右の頂の岩 鬼山に赤倉沢があり、ここに鬼神が隠れ住むという。これをこれを赤倉の大 人とか、山の爺と呼んで、山仕事をする者たちは恐れ敬っている。 大人の身長は見上げるほど高く、痩せ黒ずんだその姿を見ただけで、恐怖の あまり病になる者もある。しかしこれと馴れ親しんで、酒魚など与えると、 その返礼として山の木を根こそぎにしてくれたり、マダ(シナの木)の樹皮 をはいで、馬二、三頭に積むほどの量をかかえて持ってきてくれたりすると もいわれている。」 巖鬼山も、「いわきやま」と読めるのがとても気になって。 ただそれだけなんですけどね(^^ゞ