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針名神社

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  祭  神:尾治針名根連命 大己貴命 少彦名神 応神天皇 
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「針名神社は、古来、尾張の国を支配していた尾治氏の末裔、尾治の針名根連命を
       祀る神社で、延喜式の神名帳に従三位針名天神と記載されている歴史のある神社
       で、式内社である。延喜式は、延喜五年(905年)に醍醐天皇の命により編纂
       が開始された『養老律令』の施行細則を集大成した古代法典で全五十巻あり、式
       内社と言われるのは、この延喜式の第九巻・第十巻に記載されている神社のこと
       である。
       針名神社の創建はそれ以前、つまり、今から110年以上前に遡る。その後、慶
       長年間(1612年頃)に、約800M北の元郷から周囲の住家とともに移って
       きたのである。併神として大己貴命又の名を大国主命、大国主命とともに全国を
       回って国土を開拓した神とされる少彦名神を祀っている。
       なお応神天皇の八幡社を42年に合祀している」
  住  所:名古屋市天白区天白町平針大根ケ越175
  電話番号:052-803−6174
  ひとこと:この神社に参拝したのは、この春、大阪府の玉手山近辺を周る歴史ウォーキング
       に参加したことから、「尾張氏」に興味を持ったからでした。

       現在「尾張」といえば、愛知県を指しますから、尾張氏も愛知県の出身かと思い
       ますが、実は玉手山近辺も、尾張氏が栄えた地域だったそうです。
       
       どちらが先なのかはわかりません。
       
       玉手山の尾張氏が、なんらかの理由で愛知県へ移動したのか。
       それとも、愛知県の尾張氏の一部が、玉手山に移動したのか。
       
       しかし、玉手山の尾張氏はかなりの権勢を誇ったらしく、玉手山の古墳群と言え
       ば、大きく数も多く、歴史が長いことで知られています。
       
       記紀の中で、もっとも有名な尾張氏は、大和武尊の妻、宮簀媛ではないでしょう
       うか。
       大和武尊は、玉手山のある羽曳野市と関係の深い人物です。
       彼の古墳は羽曳野市にありますし、そもそも羽曳野の地名は、大和武尊の魂が白
       鳥と化身し、この地で羽根を曳いたことからついたと言われます。
       
       つまり、尾張氏と羽曳野市の関係は、決して浅くはないわけです。
       
       そんな中で、特に心が動いたのは、安福寺を再興した、珂憶上人のことでした。
       
       珂憶上人は、福井県の出身ですが、全国を行脚し、尾張藩の二代目藩主である、
       徳川光友と出会います。
       
       当時、珂憶上人は30歳、光友は40歳。
       光友は、実に十歳も年下の珂憶上人にすっかり心酔し、菩提寺の建立を依頼す
       るんです。
       
       そこで、珂憶上人が見つけてきたのが、玉手山にある安福寺でした。
       そんなわけでこのお寺には、光友公の御廟があるのですが、それ以外にも、尾
       張徳川家所蔵の宝物が、この寺に納められたと言います。
       
       美しい細工の箱やら扇子やら、さまざまな宝物の中で、特に目を引くのは、楠
       木正成公の兵法に関する巻物。
       
       楠木正成は、南北時代きっての戦上手として知られますから、戦国時代の武将
       は、こぞって彼の兵法を学んだと聞きます。
       
       特に、戦の上手さと、悲運さが、まさに楠公さんと重なってしまう真田幸村公
       は、楠木正成の兵法を熱心に研究したとか。
       
       ですから、尾張徳川家が楠公さんの兵法書を持っていたとしても、不思議はな
       いかもしれません。
       
       ただ、安福寺があるのは、大和川にほど近い玉手山です。
       楠木正成公は大和川の水利を使った運送ネットワークを持っており、それによ
       り力を蓄えたと言われていますよね。
       
       尾張徳川家が、尾張氏の本拠地であり、かつ楠木正成公の本拠地でもあるこの
       地に、菩提寺を持ったのか??
       尾張とここ河内は現代でも決して近くはありません。
       いわんや江戸時代をやです。
       
       それが気になって仕方がなかったのです。
       
       針名根連命がどのような事績を持つ神様なのかはわかりません。
       ただ、尾張氏の遠祖は、饒速日命とされています。
       つまり、物部氏と祖を同じとするわけですね。
       そして、物部氏の本拠地である八尾は、やはり楠公さんと深い関係があるので
       す。
       
       あぁ、気になる、気になるけれども、針名神社で、楠木正成とのつながりを感
       じるものはありませんでした(^^ゞ
       
       この神社の紋は桐紋。
       それだけが印象に残った参拝だったのでした。うむ。

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