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細江神社

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  祭  神:素盞嗚尊 奇稲田姫尊
  説  明:境内看板を転載します。
      「御由緒
       明神大社 角避比古神社(元国幣中社)は浜名郡新居町に御鎮座、第五十五代文徳天皇嘉祥三年(850)
       官社に列せられた立派な神社で、浜名湖入口の守護神として氏子の方々に篤く信仰されていたが、第百三
       代後土御門天皇明応七年(1498)八月二十五日、大地震、大海嘯がおこり、神殿、建造物がことごと
       く流没したが、奇跡的にご神体は、村櫛をへて、伊目の十三本松に漂着、里人は隠岐大明神の地に仮宮を
       建てて祀った。
       しかし十二年後再び地震による大津波のため、気賀の赤池へと漂着された。気賀の里人はこの地に仮宮を
       立てて祀り、翌年九月現今の地に社殿を建て、牛頭天皇社と称え祀ることとなった。以来気賀の総鎮守と
       してあがめられ、明治六年三月、神社の社格が郷社となったが、戦後はこの制度は廃止となった。
       赤池の郷は当社より約三百米東南にあり、例祭日には神輿の渡御が行われる。
       御神徳
       清く、正しく、睦まじく、強く、すべてのものを生かし伸ばし育てる。これが神様の御教えであります。
       人間の罪穢れや、悲しみ、喜び、そして正史といった、自然界、人間界のさけがたい運命を一身に負いな
       がら、それを良い方向に導くために苦労された神様です。
       悩める人、苦しめる人の胸中を知り、その人々に起る災厄、疫病を除くに喜んで救の手を差しのべられる
       神様です。
       そして人々の罪を償われようとする御神徳により、疫病除けは勿論、豊作、大漁、招福、開運、万民守護、
       縁結びの神様として信仰されています。
       地震災難消除
       御由緒の中に書いてありますように、当社は明応七年の大地震により御神璽が一番安全な所として、この
       気賀の郷に着御し、地元の人々が地震にも負けない尊い神様だと創立した神社です。
       いつ発生するかあからない災難を最小限でありますように、又最小限ですむように祈祷する神社です」
  住  所:静岡県浜松市北区細江町気賀996
  電話番号:
  ひとこと:角避比古神社は既に「鎮座地不明」の扱いとなっているようです。
       ですから、ここ細江神社が、角避比古神社と同等の神社としての扱いを受けていると言ってよい状況のよ
       うですね。
       
       実はこの神社、私にはとても思い入れの深い神社なんです。
       
       このサイトを始めた頃、まだ神話もあまりよく知らず、とにかく参拝できる神社をしらみつぶしに周って
       いたのですが、そんな時に一通のメールをいただきました。
       
      「牛頭天皇の御姿を知りたい」
       って。
       
       メールの主の叔父様が、細江神社の氏子さんなんだそうです。
       木彫りが特技で、細江神社のご神像を刻みたいという心願があるが、牛頭天皇がどんな姿をした神様かわ
       からない。
       調べたところ、大阪堺市にある寺院に牛頭天皇像があるらしい。
       できればその像の写真を撮ってきてはもらえないか。
       
       ……そういった内容でした。
       
       今ならね(^^ゞ
       牛頭天皇は素盞嗚尊と同一視されているけれど、この神社の御祭神は素盞嗚尊なのだから、八俣の大蛇を
       退治した英雄神らしい神像を彫れば良いのではないですか……と提案したように思います。
       
       でも当時は牛頭天皇がどんな神様か、簡単な資料しか手元にありませんでした。
       細江神社についても、白水社の『日本の神々』で確認するのがやっと。
       
      「じゃあ、その寺院へ行って、写真を撮影させてもらうよう頼んでみよう」
       と考えたわけです。
       
       当時から無駄に行動力だけはあったんで、寺院に赴き、当時から人当たりだけは良かったので、写真撮影
       の許可も得ました。
       そしてそれをプリントアウトしたものを郵送。
       
       その後、丁寧なお礼の絵手紙とみかんひと箱をいただきましたが、それ以降はすっかり忘れてたんです。
       
       そしてそれから10年後くらいになるでしょうか……。
       また、みかんの箱と小さな木仏が届きました。
       
      「のりちゃん、本当にありがとう。おかげで牛頭天皇の神像を奉納することができました」
       とあり、神像の写真も同封されていたんです。
       
       小さな木仏は、もう先だって身罷った友人に似ていました。
       私のことを「観音様」と呼んでくれた、唯一の人です。
       
       だから、参拝しておきたかったんですよ。
       到着したのは日没間際だったので、神像は見れませんでしたが、お参りできて、良かった(#^.^#)

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