祭 神:伊須流支比古神 伊弉諾命 説 明:石川県神社庁によれば、 「式内の古社で、崇神天皇6年の創建と伝え、治承4年勅使藤原家通の参向あり。 歴代の勅願所にて、中世5社大権現と称して、別当360余坊、衆徒3000を擁す。 中世以来、しばしば戦場となる。暦応4年足利尊氏社殿再建。天正11年朝廷の 命により、羽柴秀吉再興。現本殿は承応2年前田利常の再建。明治5年に郷社。」 とあります。 境内にあったイワシガ池の説明板を転記します。 「イワシガ池 名称の由来は、この池が涸れることのない石清水がなまったものとか、かつ て大飢饉が起ったときに鰯がわいて飢饉をしのぐことができたことによると か伝えられている。また、この水が雨乞いの祈?に用いられたことから、 『雨乞池』とも呼ばれる。江戸期の文書や絵図には『閼伽池』『アカ池』と記 されているが、閼伽池とは、仏に備える水を取った池のことである。 毎年七月七日の開山祭には、万病に効く霊験あらたかな水として参詣者が、 この水を持ち帰る慣習がある。」 住 所:川県鹿島郡鹿島町石動山子乙1 電話番号: ひとこと:私が興味を持ったのは、『日本の神々』にある、星降り伝説でした。 その部分を引用しますね。 『太古の昔、万物の生命をつかさどる星が流れ落ちてこの山に鎮まり、三千世 界を護りたもうたので、この石の名『動字』によって山名を『いするぎ』と 称するようになり、この石の護名の徳を護るため天目一箇尊が当山に鎮まっ た。その後、崇神天皇の御代に天目一箇尊の裔孫が勅を奉じて宝剣を納め、 宝満宮すなわち伊須流岐神社を創立した』 「いするぎ」は、「ゆするぎ」ともされること。 星降り伝承は、岡山の鼓神社などにもあり、個人的には縄文祭祀のエッセン スを帯びていると感じています。 特にこの神社の場合、「万物の生命をつかさどる星が降り落ちた」としてい るのが気になる。 力を持つ星というと、北極星などを思い浮かべますが……。 さらに面白いのは、この地にも、ホムチワケの伝承があること。 『日本の神々』から引用しましょう。 「垂仁天皇の御代、天皇は第一皇子誉津別尊が口がきけないため、諸国の霊場 に尋ねて方道千人に祈願を求めた。勅を奉じた仙人が宝満宮で祈?したとこ ろ、皇子は空を飛ぶ鵠を見て声を発し、その神恩に感じて生涯この山中の大 宮坊にとどまり、没後も山中に葬られた」 古事記では、皇子は鵠を手に入れただけではまだ話せず、出雲の宮を参詣す ることになりますが、なんにせよ、出雲との関係が深いのでしょう。 石川〜富山の旅で、もっとも聖地らしい聖地と感じたのがこの場所です。 木々が常に清潔な空気を排出し、木漏れ日が地面に模様を作っています。 そして木立の上ではオオルリのさえずり。 本当にいい雰囲気の神社でした。