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天石門別豊玉比賣神社

iwatowaketoyotamahime





  祭  神:天石門別豊玉比賣
  説  明:案内板を転載します。
      「豊玉比賣神社の御祭神は天石門別豊玉比賣であります。
       此の神は『古事記』神代記物語中、実に多くの頁を費やし、種々の寓話を述べられている大女王
       です。それにまた神武天皇の出生に連る山彦、海彦をも記しています。
       わが国天皇家生の歴史は、この海人族の大女王を無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・
       脇町)の住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと称され、発言を封じられていた阿波
       国ですが、事実の前にはさからえなかったのでしょう。醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名
       帳では、日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。
       日孁命と同様、天石門別豊玉比賣が豊日孁命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比賣神社が『古事
       記』海幸彦、山幸彦の物語中に出てくる籠王宮の宮殿跡を社地として祀られています。
       わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王の神名の上に天石門別と延喜式で記されて
       います。はるか太古、神々の神話時代(高天ヶ原時代)から天石門の外界に現れたの意味で、こ
       の神より後人皇の歴史となってきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが日孁命、豊日孁命である
       ことが歴然としています」
  住  所:徳島県徳島市眉山町大滝山1‐2
  電話番号:
  ひとこと:春日神社の境内社で、Wikiによれば、
      「徳島城内にあった竜王神社が国瑞彦神社に合祀された後、さらに当神社に移され、合祀となった。」
       とあります。
       
       しかしちょっと何言ってるかよくわからないご由緒な気がする(^^ゞ
      「倭は言挙げせぬ国」は、万葉集にも出てくる言葉ですね。
       
       たとえば第十三巻。
       柿本人麻呂が友の旅立ちに先立って詠んだのは、
       葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙ぞ我がする 言幸く 
       ま幸くませと 障みなく 幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 
       言挙げす我れは 言挙げす我れは
       
       言挙げとは、口に出して言葉にすること。
       口に出さなくても良いことを、言葉にすることです。
       
      「引き寄せの法則」は、口に出すと実現するって考え方ですが、その逆。
       大切なことは言葉にしないのが、「大和」という国なわけです。
       私はその考え方がしっくりくるんで、神様への願い事やおみくじの内容なんかは、人に言いません。
       で、この場合の「大和」は日本のことで、阿波の「倭」のことじゃなく、古語でいうところの大和、
       つまり日本のことだと思うがな。
       ってか、柿本人麻呂はそういう意味で歌を詠んでると思う。
       
       この由緒書から感じ取ってしまうルサンチマンにも、何か理由があるんでしょうね。
       
       ただ、豊玉姫は阿波と関係が深いんじゃないかと思ってます。
       その理由は、忌部氏の『古語拾遺』に、豊玉姫に関するオリジナルエピソードがあるから。
       出産に際して、掃守が蟹を掃いたエピソードなんですけど、多分豊玉姫は忌部氏にとって大事な女神
       なんじゃないかなと私は思ってます。
       そして忌部氏は阿波と深い関係がありますから。
       
       でもな~……。
       と思いつつ、とりあえずママで掲載。

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