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岩屋神社

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  祭  神:伊弉諾尊 伊弉冊尊 大日孁尊 月読尊 蛭子尊 素盞嗚尊
  説  明:御由緒書を転載します。
      「ご由緒
       成務天皇十三年六月十五日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大
       社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を
       賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。
       ご神徳
       家内安全・商売繁盛招福の神・災厄消除・縁結びの神として、ご神徳広く崇敬
       される。
       オシャタカ舟神事(明石市指定無形文化財)
       淡路島岩屋より御遷座なりし当時を偲ぶためそれ以後連綿として行われている
       神事で、夏大祭に行われている。
       成務天皇十三年十五日の勅命により、当浜の名主(六人衆という)が新船を造
       り、一族郎党を引き連れ淡路島に渡り、御皇神を船に遷し奉り帰路についたと
       ころ途中、八百潮早く、波風高く、船を当浜に着けることが出来ず、西の方林
       崎前の赤石(明石の起源)の所で一夜の泊りをなし、その時神前にお供へした
       のが現在も特殊神饌として伝わっている(現在も宵宮の早朝、松江海岸にて行
       われている)。
       朝旦に至って波風もおさまり、今の地に鎮座されたのである。
       行事の内容は、明石浦の漁業青年たちが、一隻の船に五名・約三十名が選出さ
       れ、神船に神々を奉鎮し、立ち泳ぎしつつ頭上高く持ち上げ、『オシャタカー』
      (よくおいで下さいました)と唱えつつ、前方に押し進め、渡御式を行う。
       往時は岩屋まで行われしが、近年は松江海岸(明石)までおこなわれる。陰暦
       六月十四日、十五日に特殊神事オシャタカ舟神事が行われていたが、現在は七
       月の第三日曜日に行われる。」
  住  所:兵庫県明石市材木町8−10
  電話番号:
  ひとこと:興味深いのは、なぜ、淡路島から神様を勧請したか、です。
       明石にも、古い神社はいくつもあるでしょうに。

       そして、もう一つ面白いのは、ご祭神の顔ぶれです。
       伊弉諾尊・伊弉冊尊・大日孁尊・月読尊・素盞嗚尊
       という顔ぶれは、それほど珍しくもありません。

       三貴神(大日孁尊・月読尊・素盞嗚尊)と、そのご両親神。
       記紀神話で最も重要な神々である、と言えるからです。

       が、ここの御祭神は、蛭子尊の名前があがっているんですよね。
       蛭子尊は、確かに、伊奘諾尊・伊奘冉尊の御子です。
       三貴神とは、兄弟になります。
       しかし・・・。
       伊奘諾尊・伊奘冉尊の御子の数たるや、約100柱。
       三貴神の兄弟神のうちから、一柱を選べ、といわれて、すぐ蛭子尊を思いつく
       人は、珍しいんじゃないでしょうか。

       ではなぜ?
       ・・・やはり、「淡路島」から勧請した、というところがポイントなんだと思
       います。

       日本の国々は、伊奘諾尊・伊奘冉尊が交合して生まれた、と神話は語ります。
       が、その仕事は、最初から順調だったわけではありませんでした。

       日本書紀(本書)では、こうなっています。

      「伊奘諾尊・伊奘冉尊が、天の浮橋の上に立たれて、相談していわれるのに、
      『この底の一番下に国がないはずはない』とおっしゃって、玉で飾った矛を指し
       下して、下の方をさぐられた。そこに青海原が見つかり、その矛の先からした
       たった海水が、凝り固まって一つの島になった。これを名付けておのころ島と
       いう。二柱の神はそこでこの島にお降りになって、夫婦の行為を行って国土を
       生もうとなされた。そこでおのころ島を国中の柱として、男神は左より回り、
       女神は右から回った。国の柱をめぐって二人の顔が行きあった。そのとき、女
       神が先に唱えていわれるのに『ああうれしい、立派な若者に出会えた』と。男
       神は喜ばないでいわれるのに、『自分は男子である。順序は男から先にいうべ
       きである。どして女がさきにいうべきであろうか。不祥なことになった。だか
       ら改めて回り直そう』と。そこで二柱の神はもう一度出会い直された。
       この度は男神が先に唱えて『ああうれしい、愛らしい少女に会えた』とおっし
       ゃる。そして女神に尋ねられて『あなたの体はどんあになったところがありま
       すか』とおっしゃる。答えて言われる。『私の体の一つに雌のはじまりという
       ところがあります』と。男神がいわれる。『私の体にもまた雄のはじまりとい
       うところがあります。私の体のはじめのところで、あなたの体のはじめのとこ
       ろに合わせようと思う』とおっしゃる。そこで陰陽が始めて交合して夫婦とな
       った。
       子が生まれるときに、まず淡路洲(あわいのしま)が第一に生まれたが、不満
       足な出来であった。そこで名付けて淡路洲(吾恥島)という。それから大日本
       豊秋津洲(大和)を生んだ・・・。」

       と、続きます。
       つまり、淡路島は、不満足な出来の子供、「恥の子」とされたわけですね。

       ちなみに、もし、現代のカップルで、男が、女に対して、
      「俺は男だぞ、俺より先に声をかけるな。男のプライドが許さない」
       などと言うようなことがあれば、私は、その女性に対して、
      「別れっ!別れてしまいっ!!別れたほうがえぇえええっっって!!」
       と告げ口すると思いますが(笑)。

       実際、伊奘諾尊と伊奘冉尊は、後に、離別します。
       伊奘諾尊が約束を破ったくせに、伊奘冉尊に暴言を吐いて離別をつきつける、
       という形で、です。
       ほ〜ら、言わんこっちゃない(笑)

       それはそれとして、この場合は、陰陽の道理とか、「魔術的な要素」から見て、
       はじめの「子産み」は、不満足な出来の子供(淡路島)を生み出す結果になっ
       たようです。

       さて、古事記でも同じ、国産みの場面を見てみましょう。
      「伊邪那岐の命が『そんならわたしとあなたが、この太い柱を廻りあって、結婚
       をしよう』と仰せられてこのように約束して仰せられるには『あなたは右から
       お廻りなさい。私は左から廻ってあいましょう』と約束してお廻りになる時に、
       伊邪那美の命が先に『ほんとうにりっぱな青年ですね』といわれ、その後で伊
       邪那岐の命が『ほんとうに美しいお嬢さんですね』といわれました。それぞれ
       言い終わってから、その女神に『女が先に言ったのはよくない』とおっしゃい
       ましたが、しかし結婚をして、これによって御子水蛭子をお生みになりました。
       この子は葦の船に乗せて流してしまいました。次に淡島をお生みになりました。
       これも御子の数にははいりません。」

       わかるでしょうか?
       古事記では、日本書紀で、「出来が不満足な淡路島」とされているのと同じ位
       置づけとして、「水蛭子」が登場するのです。

       そういう目で見れば、
       淡路島≒水蛭子
       という見方も成り立ちそうに思いますよね。

       しかし・・・古事記に出てくる、「淡島」とはなんでしょう。
       音だけ見れば、「あわしま」と、「あわじしま」に非常に近いのですが・・・。

      「淡路島」よりも「淡島」と、音的に近いものに、「粟島」があります(笑)
      「あわしま神社」のうち多くのご祭神が、少彦名命です。
       少彦名は、手から零れ落ちてしまうほどの小さな神様。
       そういう意味では、「御子の数には入らない」のかもしれませんが、もう一つ、
       少彦名命と「あわしま」の関係が見て取れるのは、彼の退場の仕方です。

       日本書紀によれば、
      「少彦名命が、出雲の熊野の岬に行かれて、ついに常世に去られた。また粟島に
       いって、粟茎によじ上られ、弾かれて常世郷へ行かれたとも言う。」

       つまり、常世への入口としても、「あわしま(粟島)」は登場するわけですね。

       そう考えると、「あわしま」が、御子の数に入れられなかった理由は、恥の子
       たる「淡路島」や、葦の船で流された「水蛭子」とは少し違ったのかもしれま
       せん。

      「あわしま」は、「国」ではなく、人と神との架け橋となる「装置」であったの
       かもしれません。

       話がそれましたが、とりあえず、そんな訳で、淡路島と蛭子さんには、深い関
       わりがあると言っても過言ではないでしょう。

       だからこそ、この神社のご祭神に、蛭子尊の名があるのでしょう。

       しかし、そう考えると、今度は、
      「それじゃ、なぜ、蛭子尊だけではなく、親兄弟までご祭神に加えられてるの?」
       という疑問が、ふつふつ・・・ふつふつ・・・と湧いてきます。

       それは・・・。
       はっきりいえませんが、人間の、「ルーツに対する興味」に尽きるんじゃない
       か、などと思います。

       例えば、本来、聖母マリアは、「信仰の対象」ではなかったはずです。
       なにしろ、息子・イエスに、「女よ」なんて呼びかけられてるくらいです(笑)

       しかし、現状を見てみると、マリア信仰は、もしかしたらキリスト信仰より盛
       んかもしれません。

       応神天皇にしても、神功皇后への信仰は無視できないでしょう。

       あれ?
       母親ばっかですね(笑)

       なにしろ、子供は母親から生まれてきますから、それもまたしょうがないので
       しょうね。

       でも、この神社のご祭神も・・・。
       本来は、「伊奘冉尊・蛭子尊」の二柱だった可能性は・・・あるかもしれませ
       んね(笑)

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