祭 神:齋主神 (合祀)武甕槌命 經津主命 大比賣命 説 明:神職さんから伺ったお話です。 「平城京遷都の際、鹿島神宮から王城鎮護のため、武甕槌命が春日大社へおいでに なった際、立ち寄ったのがここ、春日神社です。 春日大社では申祭りが開催されているので、それに倣い、当春日神社でも、12月 の申の日に、申祭りが開催されています。」 住 所:奈良県山辺郡山添村春日469 電話番号: ひとこと:2013年12月8日、申祭りを見学してきました。 なぜこのお祭りが気になったかというと、「元春日」「能楽」が深く関係してい ること。 そして、近所に「波多(はた)」のつく地名が散在しているからです。 秦河勝は猿楽の祖とされていますものね。 そして、観阿弥の生誕地とされる名張もこの近く。 縄文時代は、名張と伊賀、山添村はひとつの集落だったとも言います。 春日大社のご祭神は、最初「御蓋(みかさ)山」と呼ばれていた山に降臨された というお話を聞いてから、「春日」が「かさ(瘡)」に通じることも気になって います。 このすぐそば、月ヶ瀬にも「嵩」という地名がありますしね。 近年、違う意味で有名になってしまいましたが……。 お祭りは、春日大社の申祭(春日祭り)に倣って始められたとのことですが、春 日祭りは3月の申の日(現在は13日に固定)。 なぜ「倣った」と言いつつ、9ヶ月も遅らせたのか、あるいは3ヶ月早めたのかは わからないようです。 さて、では、申祭りの次第をご紹介しましょう。 お祭りは午後0時に開始。 大祓祝詞から始まります。 次いで、 ・参拝者の清め祓え ・神主さんを先頭に、氏子さんたちが御拝殿へ ・献饌 ・開扉(警蹕の声は神主さん一人) ・神主さんによる祝詞奏上 ・玉串奉奠・拝礼 ・撤饌 ・閉扉 と続きます。 開扉されるのは、一年中でこの申祭りの日だけとのこと。 隣りに天押雲根命をお祭りする若宮があり、こちらも開くとのことでしたが、こ の日は開かれませんでした。 10月16日の若宮神社祭(通称:雑炊祭・いも祭、神事名:座祭)で開かれるとい うことかもしれません。
その後いよいよ、能楽の奉納です。 演じるのは、菅生春楽社のみなさん。 謡の声も心地よく、所作も美しいことから、多分熟練の方たちなのだと思います。
翁舞において、神は翁面に降臨するのだとか。 演者は翁面を恭しく扱われます。
神、舞台に降り立つ。
♪たらぁりたらりと ♪漫才楽 の詞は、奈良豆比古神社で聞いたものと同じです。
榊舞。 ♪大物主が丹塗り矢と化して、女にまみえ という詞が耳に入りましたから、五穀豊穣の舞なのかと思います。
子ども狂言『いろは』 弟役の少年が、むちゃくちゃ楽しそうな表情で演じていたのが印象的でした(#^.^#)
連吟『八島』 寿ぎの謡だと思いますが、詳細は不明。 そうこうしていると、氏子さんの一人が、直会の食事を配ってくださいました。
りんご、ちくわ、かまぼこ、小芋、こんにゃくが串に刺されています。 これは人の形を作っているそうですが、なぜ人型なのかはわからないそうです。
狂言『附子』
仕舞『高砂』 これまた寿ぎの謡ですね。 面白いのは、これらの舞台が進む中、氏子さんたちはみな、直会の食事をしてお られ、誰も見ておられないこと。 純粋に、神に捧げられる舞だということなのでしょうか? でも、ご本殿の扉は閉められてしまっていて、氏子さん曰く、 「神様は帰ってしまわはった」 とのこと。 翁舞は、面に神が降臨するわけですが、それにしても……。 菅生の人達の舞には、どんな意味があったのか、不思議に思います。 さてさて。 氏子さんたちに配られたお札は、少し珍しい形なので、お借りして撮影しました。
このお祭りは、14町が当番制で当屋を勤められているようで、今年は春日地区が 当屋だったようです。 駆け足での紹介でしたが、どの舞もかなりの熟練で、見応えがありました。 神事としての能楽に興味がある方はぜひ一度ご覧ください。 それにしても、なぜ春日様は伎楽と関係が深いのか……。 山添村付近は縄文初期の遺物が数多く発掘される場所。 ずっと昔から、人が住んでいた場所でした。 そこで長く伝えられてきた能楽の祭り。 ますます興味が沸いてきました(#^.^#)