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賢見神社

kenmi





  祭  神:素戔嗚尊 応神天皇
       奥社他境内山中:大天狗 山の神 水の神 荒神 不動尊他多数
  説  明:ご由緒書を引用します。
      「創建・建築物
       仁賢天皇の三庚午年九月(五世紀末)と神社明細帳に記されるも、定かではな
       い。
       明治二十一年に本殿他を、昭和五十年幣殿・拝殿を改築
       平成九年絵馬殿、平成十年社務所を新築。
       絵馬殿内には赤穂浪士などの奉納絵馬を掲げている。
       
       ご祈祷
       家内安全・病気平癒・邪気退散・身体健康・交通安全等」
  住  所:徳島県三好市山城町寺野112
  電話番号:0883‐86‐1322
  ひとこと:神社の公式サイトによると、
      「賢見神社は犬神憑きを落とす日本随一の神社」
       とのことです。
       
       お詣りした際、ちょうどご祈祷中だったのですが、祝詞は、語尾がピッと上が
       り、不思議な歌のよう。
       
       神垂は白ではなく、分厚い金色のもので、鈴がついていました。
       また、神社サイトによれば、ご祈祷の際など、この神垂を参拝者の頭から肩に
       直接触れるのだとか。
       独特の風習があったことがしのばれます。
       
       でもそれもそのはずでしょう。
       この土地は、四方を山に囲まれた、まさに「隠れ里」と言った雰囲気。
       あまり人に教えたくないような、とても大事な場所に思えました。
       
       参拝したのは本当に偶然で、四国ドライブの時、看板が目に入ったから。
       ちょっとキツめの予定を組んでいたので、飛び込み訪問はやめておこうと決め
       ていたんですが、なんとも気になったので、
      「ちょっとだけ寄ってみよう」
       という話になったのでした。
       
       が。
      「3キロ先を右折」
       と書かれた看板から、どれほど山を登ったでしょうか。
       
       気づいたら、外界から遮断されたような、長閑な風景が広がっています。
       このあたりには、平家の隠れ里伝説がありますが、なるほどなという感じ。
       
       本殿は、駐車場からさらに数分歩きます。
       
       鳥居をくぐろうとすると、横からぴょこりと少女が飛び出してきたんです。
       手にストロベリーフィールドの花を持ち、
      「けんみじんじゃへようこそ!」
       にっこり笑って、手渡してくれました。
       
       彫りが深く、飛鳥大仏を思わせるクッキリしたアーモンドアイ。
       あまりに可愛かったので、
      「写真を撮ってもいい?」
       と言うと、お澄まし顔で花を持ち直します。
       
       後ろにいた、北林谷榮のような貫禄のあるおばあさんが、
      「この娘は山の子じゃからの」
       と、私に語りかけてこられました。
       
       山の娘だから、いろいろなことが珍しく、楽しく感じるのだという意味か
       なと思うのですが、私自身、おとぎばなしの登場人物になったような気分。
       
       境内にはヤマガラが遊んでいるしね。
       
       私個人の印象でしかありませんが、都会から離れた神社に参拝すると、大
       歓迎されるか、少し離れたところから見守っておられるかどちらかの反応
       が多いような気がします。
       でも、ここはそうではありませんでした。
       
      「場」として完結してる感じ。
       私たち参拝者を、「別の世界からやってきた人」として馴れ合いはしない
       ながら、自然に受け入れてくれる雰囲気がありました。
       
      「賢見」は本来「犬見」だったとも言われます。
       御守りに描かれた「賢見皇大神」は、太刀を腰に、黒い髭をゆったりとた
       くわえた偉丈夫。
       確かに容貌は素戔嗚尊を思わせるのですが、黒い犬を三匹従えているとこ
       ろなど、元はまた違う神だったのではないかとも思われます。
       
       仁賢天皇三年(庚午の年)と言えば、西暦490年。
       延喜式神名帳の編纂は延長五年(927年)ですから、ここに掲載されて
       いないということは、体制からは外れていたか、それとも人に知られてい
       なかったか。
       
       なんにせよ、独特の信仰だと思われます。
       何がどうでそういう気分になるのかはわかりませんが、なんとなく、
      「お礼をしたい」
       という気分にさせられる神社でした。

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