祭 神:天照大神 天忍穂耳尊 瓊瓊杵尊 彦火々出見尊 鵜草葺不合尊 説 明:境内看板を転載します。 「創立 『明細帳』に不詳とあり、棟札には天保七年二月再建とある。 由緒 『明細帳』に『当社の義は近石と申すところに逢初森(アイソメノモリ)というの があり、そこに伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト) 天降らせ一女三男を生み給う、この神を産土神社(ウブスナジンジャ)と崇め奉 る、よってこの村の名を神皇地コウノチ)と称す。いつの頃よりか神内村(コウ ノウチムラ)と改むと言い伝う』とあり。明治三十九年十二月二十五日、三重県 告示第三八〇号を以って神饌幣帛料共進社に指定される。社殿は自然成岩窟にし て空間六尺(約1.8メートル)四方あり、境内六反八畝十歩。近郷の人、子安の 神、安産の神として参詣するもの多い。また豊漁の神として近隣の漁師の信仰厚 い。 (紀宝町発行『文化財を訪ねて』抜粋)(神内神社所蔵文書抜粋) 神内神社樹叢 神内神社は、石英粗面岩(熊野酸性岩)の岸壁をご神体として祭った原始宗教の 名残りのもので、多数の水蝕洞穴があり岩面には着生植物が多い。 神社の境内には着生植物、シダ植物を含めて約三〇〇種の植物が繁茂している。 この森すべての植物を保護することは言うまでもないが特に保護保存に心掛けね ばならないものをあげれば、木本類ではクスノキ(巨木)、ホルトノキ、イヌマ キ、ミサオノキ、ヤマモガシ、アラカシ、タカオ、カエデ、ヤマビワ、イスノキ、 オガタマノキ、カンザブロウノキ、イヌガシ、ナギ、モッコク、シダ植物では、 キクシノブ、ナンカクラン、タカノハウラボシ等は珍しく貴重なものである。 紀宝町教育委員会」 住 所:三重県南牟婁郡紀宝町神内字近石958番地 電話番号: ひとこと:案内板は、社叢の説明の方が前でしたが、神社の紹介なんで前後させました。 社名は「コウノウチ」。 巨石をご神体とすることや場所を考えても、花の窟神社を祀っていたと同じ人た ちの信仰の場ではなかったかと思います。 日本書紀一書(第五)には、 「伊弉冉尊が火の神を生むときに、からだを焼かれてお亡くなりになった。それで 紀伊國の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神をお祭りするには、花のとき に花をもってお祭りし、鼓・笛・旗をもって歌舞してお祭りする」 とあり、それゆえに花の窟人あのご祭神は伊弉冉尊と軻遇突智なわけですが、地 元には、 「軻遇突智は生まれつき体が弱かったが、伊弉冉が笹餅を作って食べさせると元気 になった」 という伝承も伝わっているといいます。 つまり、この地で信仰されていたのは、伊弉冉と軻遇突智とは違う、別の母子神 だったんじゃないでしょうか。 しかし、大和朝廷に組み込まれた際、 「母子と言えばイザナミ&カグツチか、神功皇后&応神天皇でしょう」 ということになり、 「でも、神功皇后と応神天皇は、この地とあんまり関係ないしね〜」 ……ってことで、伊弉冉&軻遇突智となった……とかね。 よくはわかりませんが、この地で信仰されている母神は、名草戸畔や丹敷戸畔と いった、女系部族の首長ではなかったかという気がします。 記紀でも、紀州には女系の部族がたくさんいたと書かれていますから、かなり 「無視できない」女系のつわものたちが割拠していたんじゃないでしょうか。 ところで、この神内神社で生まれた一女三男とはどんな神様なのでしょうね。 花の窟神社そばにある産田神社は、軻遇突智が生まれた場所と伝えられています。 ……とすると、このあたりの地を支配していた部族は、英雄や首長の生まれた場 所を神聖な場所とする……あるいは、聖地を英雄や首長の生まれた場所であると する風習があったのかもしれません。 紀州は強い女首長がたくさんいた地でもありますが、水軍がたくさんいた場所。 近所には鬼ヶ城と呼ばれる名所がありますが、いかにもたくましい男たちが似合 いそうな場所なんすよ!! そんでもって、水軍の一つである安宅水軍は、弁慶の出身だとも伝えられていま すよね。 女系の部族とはいえ、男たちがふがいないわけじゃありません。 強く賢く、きっと優しかったのではないかと(←希望)。 和歌山、好きなんですよ〜。