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御射山神社

mishayama





  祭  神:建御名方命 国常立命
  説  明:境内案内板から転載します。
      「ここに鎮座する御射山社は、建御名方命と国常立命を祭神としている。
       中世には、この社のある通称原山の一帯は神野と呼ばれる諏訪上社の社領で、上社の御射山御狩の祭事が行
       われていた。それは秋季の台風などが平穏に過ぎ、五穀が豊かに稔るように祈願する『風祭り』の意義を持
       つものであった。
       祭事は旧暦の七月二十六日から三十日までの五日間にわたり、穂屋(ススキで囲った仮屋)を造営して大祝・
       神長官をはじめ、多数の神官や武士などが参籠し、狩りを行って獲物を神に供え、豊作を祈願し、また流鏑
       馬などの武技競べも行われたと伝えられる。
       これらの祭事は鎌倉時代以降、内容の変化や戦乱などによる一時的な中断はあったものの、数百年間にわた
       って継承された。
       明治以降には庶民の民俗的信仰と結びついて幼児の健康祈願も行われるようになり、一般に『原山様』とよ
       ばれ、昭和初期までは草競馬や露天商も加わっての賑やかな祭りであった。
       けれど、こうした祭事の舞台となった広大な神域も、明治中期の下原山入会地の分割によって10ヘクタール
       ほどに縮小され、さらに太平洋戦争中の開墾と戦後の農地解放によって半減した。
       御射山神戸村は古くからこの祭事の賦役奉仕を受け持たされていたので、神社とはとくに密接な関係にあり、
       集落から社までの参道には立派な松並木が続いていた。それも時世の推移につれて失われ、今では300メー
       トルほどに残る老松が往時の様を伝えている。
         平成十三年三月     富士見町教育委員会」
  住  所:長野県諏訪郡富士見町
  電話番号:
  ひとこと:神社庁の資料にこの神社の住所がなく、Google Mapで確認しても、富士見町以降の住所が出てこないという、
       つまりそれだけ古い歴史があるってことかなと。
       
       でも……なんというのでしょう。
      「ものすごく良い神社」でした。
      
       神社自体が森の中にあるのですが、雨上がりだったからか虫の気配がなく、ただ鳥の声で満ちていました。
       ホトトギスの声が響いて、夢の中にいるみたいだった。
       
       御射山御狩の祭事は、いわゆる生贄の祭だったとのこと。
       現在はススキの穂で鹿を作って矢を射かけ、供物としているようです。
       
       生贄を捧げていた場所が、どうしてこうも清らかで神聖なのか……。
       
       ただただ不思議です。
       
       諏訪の神は生贄を要求する神。
       タケミナカタとモレヤ神が戦ったとき、タケミナカタは藤の花を、モレヤ神は鉄輪をもって戦ったと言いま
       す。
       藤と鉄。
       
       奈良の春日大社には、本来の神、元春日がいたと言います。
       元春日がどういう存在なのかはわかりませんが、安倍文珠院に身を寄せたということからも、安倍氏と深い
       関係があると思われます。
       そして、文珠菩薩は春日若宮の本地でもある。
       春日若宮は、赤童子として降臨したとか。
       
       赤童子……製鉄と関係ありそうな名前です。
       そして安倍氏は出雲金屋子神社の宮司家。
       金屋子神は言わずと知れた製鉄の神ですよね。
       
       そこにやってきたのが、タケミカヅチとフツヌシです。
       春日大社は藤原氏の氏神として創建されたと考えて良いでしょう。
       
       製鉄の神の支配する地を藤をシンボルとする神が侵略する。
       
       春日と諏訪で同じことが起きているのが気になります。
       というか……本来はどちらかの伝承だったのを、どちらかが借りたとか???
       
       そもそも生贄を欲しがるってなんなんでしょうね?
       神様が欲したのか、それとも別の理由があるのか???
       
       よくはわかりませんが、とにかく「良い場所」でした。
       生贄の血のにおいなぞ、まったくしない、「良い場所」だったんです。

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