祭 神:宮前霹靂神 説 明:境内看板を転載します。 「当社は、金剛山東山麓の産屋峯頂上に鎮座し、『延喜式神名帳』(醍醐天皇の命によって延喜五年 (905)八月に編纂を開始hし、二十二年後の延長五年(927)に完成奏上された。その内の九 巻十巻に当時の神名帳が掲載されている)に登載されていた式内社である。また、井上内親王が当 社に御祈願され荒坂で御子を産まれたと伝えられ、土俗に産屋明神と称し、安産の神として信仰さ れ、祈願する参詣がある。 『霹靂』とは、『かみなり・いかずち・雷鳴』を意味し、『神解け』(かみとめ・かむとけ)とも表 記される。読み方について、緒誌では、カントケの他カミトケ・ナルカミ・サクイカヅチ・ヒャク ラク・ヘキレキなどと訓でいるが、いわゆる雷神のことである。 霊安寺町御霊神社の『霊安寺御霊大名神縁起』に『雷神ハ井上ノ皇后、宝亀三年六月二十三日ニ、 宇智ノ郡ヘ流サレアリシトキ、御懐妊アリシカバ、宇智ノ郷ニテ御産アリキ。ソノ在所ハ大岡、内 ニ小山アリ。ソノ山ノ峯ニテ御産アリキ。ソレヨリノチソノ所ヲ産屋ガ峯と云ナリ』とある。井上 内親王がお海になられた御子が雷神になられていることから、混同されるが、当社では本来、自然 神としての雷神を祀ったものと考えられる。 例祭日には、御神前にショウガ酒を献じ、直会で飲む風習がある。(現在も行われている)また、 当日渡御還ってくるとのろしを上げ、これを合図に御山村では日雷神社の渡御が行われたという」 住 所:奈良県五條市西久留野町416 電話番号: ひとこと:むしろ、井上内親王がここで御子を産んだがゆえに、その子の名を「火雷」としたと考えると、わ かりやすい気がしますが……。 五條は井上内親王と深い関連のある土地ですが、井上内親王の伝承が、五條の歴史を負わされてい 面もあるのかもしれません。 井上内親王は高齢出産……という印象がありますが、記録によれば37歳で初産であるとわかります。 今でも高齢出産の域ですよね。 10歳そこそこで嫁ぐのが当たり前だった時代にあっては、相当珍しいことだったかもしれません。 内親王は5歳で伊勢の斎宮に選ばれ、10歳から実際に赴任しています。 そして斎宮の任が解かれるのは27歳のとき。 そして光仁天皇(当時は白壁王)の妻となるわけですが、これだって相当遅い嫁入りだったはず。 二人の御子を産み、夫が天皇に即位すると皇后となったにも関わらず、夫を呪詛した疑いで五條に 幽閉。 その地で御子とともになくなります。 深窓の令嬢が世間の思惑に流され、罪人として殺されたのだとしたら、なんと悲しいことか。 私は……、できるならそこに、内親王の意志があったと思いたい。 むしろ、光仁天皇を呪詛したのならいいとさえ思います。 たとえばね。 斎宮であったときに、伊勢に思い人がいた。 彼に会いたくて、光仁天皇を呪詛。 そしてそれがバレて、五條に幽閉されるわけです。 でもそこに、かつての恋人が毎日通ってきたのでありました……。 とかね(笑) そうだったらいいな。