hitokoto

那冨乃夜神社

nafunoya

nafunoya

星の池





  祭  神:星神香々背男命
       外に妙見神 八幡宮 稲荷神社
  説  明:境内看板を転載します。
      「この山は海抜四五四米の高山で、その昔星の神(病気六三祭又日頃星のまわりが
       良い悪いと言う星まわりの守護神)さまがこの地に降り鎮まりました霊場です。
       星神山という名もこれから来たのです。近郷近村の人々の悪病を除き、延命長寿
       幸福を祈る善男善女この星神山を信仰していました。神社後方約一〇〇米下に星
       の池があります。この池は古くは三つあったが今は一つ残っています。この池の
       水が濁る時は、その年水害の年と古くより伝えられ神聖な池とされています。星
       神さまの霊験(おかげ)は数多く人々の幸福を導き神として鎮まっています。
       大餅祭(おもちさい)一月十七日氏子を始め近郷より各々大餅(一五〇キログラ
       ム)を作り丸太棒(直径一八センチ 長さ五メートル)二本で餅をはさみこの社
       にかつぎ上げそなえたが明治中頃より餅も十五キログラム重ね餅としこしき台に
       のせてそなえるようになった。七月十六日夜古くは歌合せがあったが、今は当時
       の石碑がなごりを伝えている。」
  住  所:島根県八束郡八雲村東岩坂2193
  電話番号:
  ひとこと:星の池は非常〜にわかりづらかったのですが(^^ゞ
       水の澄んだ川にしか生息しないとされる動物の幼生がたくさんいました。
       ……捕獲に来る人はいないと思うけど、一応動物の固有名詞は伏せ。
       っていうか幼生なので、正確な名前はわからんし。
       
       さて、星の池には面白い伝承があるようです。
       看板を転載しますね。
      「星の池の由来
       その昔、宍道湖、中海に面した星上山に、夜は霊火が出ることがあったと言う。
       星上の池に空の星がうつり、日本海航海者はその星上の池の星のうつりを目標に
       したと言われ、夜の航海者にとって絶好の目標物にされてきた。科学者の言によ
       ると、山陰地方独特の気流現象の時は、空の月が、その池に反射することにより、
       霊火の出ることもあると言われている。月を星と見るのも古代航海者らしい見方
       であろう。また、この池の清濁によって吉凶が占われ、古くから神聖な池とされ
       てきた。
      『出雲観音記』によると、第四十五代聖武天皇の時代、天平二年(七三〇年)十月、
       揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、俄に暴風にあって方向を失い、漂いながら夜を迎
       えた。闇夜に方向も分からず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、星光
       が星上山の上に出て闇夜を照らし一点の星を目あてに漕ぎ続け、無事に揖屋港へ
       帰り着くことができた。
       翌日漁夫は、これは観世音のお導きと感じ、この山を登り、山谷を尋ね、山頂よ
       り二百米下った所に小さな池を見つけた。水面を眺めると、十一面観世音の御影
       がうつり、岩壁の上にお立ちになっていた。漁夫は感涙にむせび、仮堂を造って
       安置し、報恩感謝の誠を捧げ、その御徳を広く四方へ伝えたという。
       この池が星の池であり、後世の人々は、星の池の霊泉を汲んでは無病息災の御利
       益にあずかっている。」
       
       現在では香々背男神を祀っていますが、本来のご祭神は出雲古来の星の神だった
       のではないでしょうか。
       
       もしかしたら、それが香々背男神なのかもしれませんが。
       香々背男神は日本書紀に「星の悪神」として一瞬だけ登場する神様ですから、ど
       んな神だったのかはわかりません。
       茨城の大甕あたりが本拠地とされますが、あるいは出身は出雲だったのかも。
       
       なんにせよ、この地に星信仰があったのは、間違いなさそうな気がします。

home 神社のトップに戻ります back