祭 神:名草彦命 天御中主神など七柱の神 説 明:境内の案内板を引用します。 「国指定重要文化財 名草神社三重塔 明治三十七年二月十八日指定 <三間三重塔婆> この三重塔は、島根県出雲大社に出雲国主尼子経久が願主となって大永七年(1527) 六月十渡日に建立したものと伝えます。 出雲大社の本殿の柱に妙見杉を提供した縁で、塔は日本海を船で運ばれ、寛文 五年(1655)九月に標高八〇〇Mのこの地に移築されました。 高さは二十四.1M、一重の一辺の柱間は四.七Mあります。屋根はこけら葺 で、各重には高閨付縁があります。心柱は二重から塔の先端まで伸びています。 大永七年の材料は、松、けやきが主体で、寛文五年に移築されたとき、妙見杉 で補っています。 彫刻では、一重の軒隅で力士が屋根を支えています。蟇股には梵字のほかに蓮、 牡丹、琵琶、雲の透かし彫りがあります。また三重の軒隅には『見ざる・言わ ざる・聞かざる・思わざる』を表した四猿の彫刻があります。 昭和六十二年十月に解体修理が完成し、丹塗りも鮮やかな三重塔が四百六十年 ぶりによみがえりました。 昭和六十三年十一月 八鹿町教育委員会」 住 所:兵庫県養父郡八鹿町石原字妙見1755−6 電話番号: ひとこと:ご由緒がわかるような資料はなかったのですが、名草と言えば、和歌山の名草 邑(名草郡)あたりを統治していたとされる、名草戸畔を思い出します。 中言神社に埋葬されたとも言われる名草の姫。 その配偶者が名草彦でしょう、多分。 その神がなぜ、同じ近畿とはいえ、気候のかなり違うこの地に祀られているの でしょうね? 私が参拝したのは、2014年4月5日。 もう春ですよ、春。 それがこの地は写真の有様。 和歌山じゃもう、桜も散り初めですよ。えぇ。 しかも、ただの雪じゃないの。 雪の上を歩こうとしたら、ズボッとふくらはぎの半ばぐらいまで埋まってしま うほどの深い雪ですよ。 ここしばらく参拝した人がいなかったんでしょうか。 雪の上に足跡はなく……。 ズボズボスポスポ(靴が脱げる音)拝殿まで登りましたっ!! 和歌山からこの地へいきなり来たら、 「さぶっ!!死ぬわ、凍えるわっ!!」 と大騒ぎしてしまいますよ、絶対。えぇ。 名草神社は延喜式神名帳に記載された小社の名ですが、現名草神社は、但馬妙 見こと日光院が明治時代に廃された際、神社として祀られるようになったもの。 平安時代の名草神社がここにあったかどうかはわかりません。 とはいえ、やっぱ寒いよ養父は(>_<) 大和入りしようとする神武天皇に誅殺されたという名草の人々。 彼らはどんな事情で、この地へやってきたのでしょうね……。