祭 神:大国主神 興津島比賣神 説 明:滋賀県神社庁の案内を転載します。 「大島興津島量神社は、延喜式神名帳加列の名神であり、興津島神社は名神大に、大島神社は名神小に列せられ ている。両者は各々別の処に鎮座されていたと思われるが、いつ頃からか同境に鎮座されている。永仁六年神 宮村人の起請文には既に両社と記してあり、延文五年比丘尼法心の寄進状には大島郷奥島庄内の田地を大島息 津島両社の神供料として寄進する旨が記されてあるので、それより以前に両社が一境の鎮座である事を、知る 事が出来る。本社の創祀は、社伝には成務天皇高穴穂宮遷都の時に、大臣竹内宿禰勅を奉じて勧請するとあり、 その後天智天皇志賀大津宮に御在世の折、皇后さま御不予により当社に平癒の祈願されたところ忽に霊験があ ったので、勅使をご差遺になり奉賽の幣帛を奉られた事や、同七年天皇御幸の時に又幣帛を奉られた事など伝 える。島中より所産の薁が天智天皇の御代より、長寿無病の霊果と称えられ長い間、朝廷への貢ものの嘉例な どと考えられるは、大津京時代には、比の島と皇室との縁故の深かった事を知る事が出来る。大島神社は大国 主命を祭神とし、稱徳天皇神護景雲元年神封一戸を充てられ、興津島神社は奥島比売命を祭る大同元年神封一 戸を充てられた事が、新抄格勅符にあり、三代実録貞観元年の条には、近江国従五位下興津島神従五位上を授 け奉るとあり、それ以前より神位を授けられていた事を知ることが出来る。大正三年県社に加列、同四年神饌 幣帛料供進指定となる。社宝として大般若経六百巻、古文書二百余通を蔵す」 境内にあった案内を転載します。 「北津田・島町『薁(むべ)』の言い伝え 近江八幡市の北部に位置するここ、姨綺那(いきや)山一帯は、奥島山自然休養林として豊かな自然環境が残 されている地域である。その麓には成務天皇御即位の年(131年)に創祀されたと伝えられる式内・大嶋・奥津 嶋神社が祀られている。 その昔、天智天皇が蒲生野に遊猟された時、此の地に立ち寄られ、八人の男児をもつ長命健固な老夫婦に出会 い、『汝等、如何に斯く長寿ぞ』と尋ねられ、老夫婦は『此の地にこの様な珍奇な果物を産します』と天覧に 供した処、『むべなるかな』と仰せられ、『斯くの如き霊果は例年貢進せよ』と御下命あり、爾来この果実を 『薁(むべ)』と称され、毎年11月には献上することとなりました。この事は延喜式宮内省『諸国例貢御贄』に 記されており、以後朝廷、幕府から賦役免除、献上道中帯刀等の恩典を受けました。 ビオトープ事業では、今も此の地に産する由緒ある『薁(むべ)』を守り育て、次の世代へと引継ぎ、鎮守の 森、ため池を中心に、姨綺那山中腹の阿弥陀寺への散策道を初め、島町北津田町内を流れる小河の整備事業を おこない、季節の鳥が庭に来て、蛍や蝶の舞う豊かな自然を今一度甦らせ、『鳥も虫も魚も人間も、みんな地 球の生き物』との思いを新たに、祖先の残してくれた自然と歴史遺産を後世に伝えたいと願うところです 住 所:滋賀県近江八幡市北津田町529 電話番号: ひとこと:この神社の北西方向4キロほどに沖島があり、奥津島姫を祀る奥津島神社が鎮座していますので、その関係かな と思いますが、どうでしょう? むべのことは、毎年ニュースになるので知っていました。 「あけびとどう違うんだろう」 と思っておりましたが、 タキイ種苗さんのサイトによれば、むべもアケビ科だが、 「アケビが落葉性で果実は熟すと裂開するのに対して、ムベは常緑性で果実が裂開しない」 とありました。 なるほど。 それにしても、琵琶湖のそばには本当~に古い神社が多い。 積層すごいだろうなと思います。