祭 神:大己貴命 少彦名命 説 明:境内看板を転載します。 「当社の発祥は縄文文化の時代から巨石崇拝にあり、鏡岩を仰いで累々たる巨岩の 間に小祠を建て厳威に対する素朴な信仰であった。いつの頃か出雲族の来住が始ま り、ここを拠点として国土経営を始め大己貴・少彦名二神に確定されうようになっ た。志都神社は、『八面神』と関連し、農耕神と、タタラ神とが融合した古代信仰 の場でもあった。万葉集、三の巻 生石の村人眞人の歌 大汝少彦名のいましけむ 志都の岩屋は幾代経ぬらむ 読まれている・平安時代に仏教の興隆につれて我が国固有の山岳信仰と仏教との結 合が進められ、修験者の霊場となった。弥山・ひじり屋敷・古志都・奥の院・行場 岩・廻・岩・飛岩など巨岩にはそれぞれ修行の内容をあらわす名称や修行の居所名 がつけられている。江戸時代には国学者本居宣長も玉勝間に『石見国なるしづの岩 屋』の記事がある。出羽代官広野国右衛門は元禄十三年に『寛文の頃、鉄穴溝から 五センチの金仏が発見され、その由来記録板』を残し、神徳を讃え神社の興隆を祈 念している。こうした歴史的背景は弥山(標高六0七M)の南東斜面一帯に分布す る粗大な節理面を持つ黒雲母花崗岩がきつ立・累積する巨大な岩城郡と岩塊流・行 場岩と石割松など地形学・地質学・植物学上極めて貴重な自然景観が存在する。」 住 所:島根県邑智郡邑南町 電話番号: ひとこと:ここともう一つ、島根県大田市にも静之窟がありました。こちらは波に削られた洞 窟で、大きさがかなり違うんですね。 どちらも、出雲神話で大己貴と少彦名が隠れ住んだ場所だと説明がありました。 でももっと気になるのは、少し東へいった鳥取県米子市にある粟島神社境内地の 「静の岩屋」です。 こちらは八百比丘尼が隠れ住んだとされる場所なんですよ。 八百比丘尼も女性の幸せを願って全国を回った女性ですよね。 また、個人的に、少彦名命と「しず」の関係が気になっています。 流浪しながら、女性の悲しみを取り去る祈りを捧げる巫女たちと少彦名の関係と言 い換えた方がいいかも。 そんな巫女の一人が静御前だと思ってるんですよ。 福田晃さんの孫引きですが、柳田国男さんは、「シュク神は水辺に寄り来る小さ子 神の姿で現れる」とおっしゃってるとか。 つまり、少彦名そのものじゃありません? いろいろ気になりますね。