祭 神:牛頭天皇 説 明:ご由緒書を転載します。 「田倉牛神社は、古代易道思想と共に厄除神として渡来したと伝えられています。 『牛頭天皇』を祭神として、流行病や天変地異の災害から氏子をお守り頂こうとして勧請されたものであり、 その年代は江戸時代の初期と考えられています。現在のごとくご発効にいたったのは、むかし岡山藩が農耕 振興の一つとして農家に牛を飼うことを奨励し、各村に一祠あて祀らせたものがその一員であるといわれて います。 ご神体は石で彫刻された牛で、まわりには、信仰によって奉納された備前焼の牛馬像が無数に積まれ、その 数は10万、20万ともいわれて、それが神座となっています。 拝殿はなく、牛の守護神としてかつ、農耕の神として多くの信仰を集め、今でも飼牛の病気平癒を祈願する 人も多いが、昭和の初期頃からは、次第に一般的な五穀豊穣、家内安全、結婚、就職、入試、交通安全、商 売繁盛などと慈愛の流れとともに祈願の対象が変かしています。 正月、五月、九月の五日は大祭であり、他の月の五月は小祭です。特に正月五日は初詣ということで近郊か らの参拝者で境内が埋め尽くされます。 神座を主体とする神域の立木はもちろん、一草といえでも切ることを禁じられ、犯した者は必ず神罰を被る といわれるほど霊験あらたかな神です。 お詣りする人は備前焼の講師を供える風習があり、すでに祈願者が備えた牛像一体を借りて帰り、大願成就 のあかつきには、借りた牛像のお返しとして、もう一つの牛像を添えて倍返しの礼詣りをする習わしがあり ます」 住 所:岡山県備前市日生町寒河2570-31 電話番号: ひとこと:もちろん私も、牛像を供え、直感で一つを選んで借りて帰ってきました。 この習慣は江戸時代から始まっているとか。 私が連れ帰った牛さんは、誰かの願いを叶えた経験アリかもしれません。 もしかしたら、一人や二人じゃなく、何十人の願いを叶えた大ベテランかも……。 もしかしたらもしかしたら、最初にここに奉納したのは、江戸時代の人かも!!! そ~んなことを考えると、むっちゃくちゃロマン(≧◇≦) こういう俗信がしっかり残っていて、今も賑わってるっていいですね。 式外社の多い土地柄。 つまり、朝廷の風習やらが上書きしなかったからかもしれません。 2021年はコロナ自粛の下で、10組くらいの参拝者と会ったかな? 御神体の前が無人のときもありました。 来年は、例年通り、人で賑わったらいいですね。