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泊神社

tomari





  祭  神:天照大神 国懸大神 少彦名大神 
  説  明:境内案内を転載します。
      「神代に天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、大神の怒りを解く為に、郡神
       事計り、御鏡を造った。後に一つは伊勢神宮に祀られ、一つは海に流された。
       大和時代にそれが泊まり着いた所に檍の木が有り、檍原泊大明神として祀った
       のが当宮の起こりである。
       大昔は、此の辺りは海浜であり、泊の神号は以上から由来する。
       飛鳥時代には聖徳太子が鶴林寺を建立の際、側近の棟梁の秦河勝が、紀伊の国
       から自身の氏神である国懸大神を勧請し、社殿を建立した。南北朝には石弾城
       が築かれていた。降って承応二年(1653)には、宮本武蔵の甥で養子の宮
       本伊織が小倉藩筆頭家老に就き、故郷の氏神である当宮の後輩を嘆き、武蔵の
       供養の意を込め、浄財を寄進し、全社殿一式を再建した。以後宮本家氏神とし、
       一族より崇敬された。
       社格正一位・社領十石を給わる。
       明治には郷社格に列せられる。
       主祭神は天照大神・国懸大神・少彦名大神・末社は稲荷神・八幡神・菅原神等。
       所願成就神徳。」
  住  所:兵庫県加古川市加古川町木村
  電話番号:
  ひとこと:つまり、同じく和歌山県にある「日前国懸神社」のご神体が泊まり着いたから、
      「泊神社」なのですね。
      「泊」の地名については、生石神社のご由緒では違う説明がありました。
       なんにしても、かなり古い地名だということがいえそうです。

       さて、このご由緒を拝見してますと、この宮は、

      「日前国懸神社」のご神体である鏡が流れ着いたということ。
       秦河勝公が、自身の氏神である国懸大神を勧請したということ。

       この二点でもって、「国懸大神」とご縁が深いということになるのですね。

       秦河勝公の事蹟はいろいろとあり、いろんな才能の持ち主であるということが
       察せられるのですが、この神社の御由緒では、秦河勝公を「聖徳太子側近であ
       る棟梁」と紹介されています。

       私個人としては、聖徳太子側近の棟梁・・・と言われると、鞍造鳥を思い浮か
       べるのですが、流石に、天下の聖徳太子ですから、側近も優れものがぞろぞろ
       なんですね。

       さて、では、国懸大神とはどのような神なのでしょう。
       ここに書かれている伝承のように、伊勢神宮にある八咫鏡と一緒に造られたも
       のという説明があります。

       ただし、記紀には、鏡が二つ造られたという話しは出てきません。

       古語拾遺には、鏡が二つ造られたということが出てくるのですが、「同時に」
       ではないのです。
      「是に、思兼神の議に従ひて、石凝姥をして日の像の鏡を鋳しむ。初度に鋳たる
       は、少に意に合はず。(是、紀伊国の日前神なり。)次度に鋳たるは、其の形
       美麗し。(是、伊勢大神なり。)」

       つまり、二つ造ったうちの一つは、「心に適わない鏡」だったようです。
       ただ、古語拾遺にあるように、この鏡は、「日前神」であり「国懸神」とは又
       違うんですね。

       ただ単に、伝承が錯綜してるだけかもしれません。
       鏡が同時に造られて、片方は流され、片方は伊勢の大神として祀られたのだけ
       れど、それでは太陽神の化身たる伊勢の鏡としては、面白くないので、「もう
       一つは伊勢の鏡より劣った」ということにした。
       ついでに、もう一つの鏡を
      「国を懸ける」なんていやだわ。「日(私)の前に造った鏡ってことにしときま
       しょ」ってことで、「国懸」ではなく「日前」神とした・・・。

       もしかしたら、鏡は三つ作られたのかもしれない。
       そのうち一つは、確かに、出来が少〜しよくなく、残りの二つは、美麗だった。
       後にその一つは伊勢に鎮座。
       もう一つは何かの理由で流されてしまった。

       最初の少し劣るのが「日前神」。
       伊勢に鎮座が「伊勢神」。
       流されたのが「国懸神」。

       ・・・ん?
       なんか、なんか、なんか!!
       何かを思い出しませんか?

       三貴子。

       いえ、月読神を「少し劣る」と言ってしまうと、かなり失礼だとは思うのです
       が・・・。

      「太陽」と「月」という表現は、
      「美麗な鏡」と、「美麗だけど少し劣る鏡」というのと、かなり良く似た表現で
       はないでしょうか?

       そして、流された鏡・・・。
       素盞鳴命の放浪を思い出させるのですが、考えすぎでしょうか??

       そして、その鏡の名は、消去法的に、「国懸大神」。
       むぅ?

       ・・・あれ?
       なんで、こんな話しになってしまったのでしょうか(^^ゞ

       この鏡に絡んで、秦河勝公についてもう少し見てみようと思ってたのですが、
       やはり、「秦河勝公苦手」な意識が、話しを脱線させてしまったようで。

       ただ、「河勝公の氏神様」が、「太陽神・伊勢神」と同時に造られ流された
       とされる「日前国懸神」である、ということは、記憶に残しておくとよいか
       もしれないですね(#^.^#)

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