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大主御嶽

uharuzu





  祭  神:十二方位神 
  説  明:いらぶ観光協会のサイトを要約します。
      「その昔のこと、ある女性が卵を産みました。その数は十二。
       人間でありながら卵を産んでしまったことを恥じとしたのか、女性はその卵をカ
       ヤで隠しました。
       しかしそれから数日後、卵を隠した場所へ行ってみると、黒い乱れ髪の子ども達
       が『お母さん』と言いながら迎えました。
       女性が、どうしたらよいかわからず、オロオロしていると、天から神様が降りて
       こられました。
      『心配しなくても良い。この子たちは、あなたと私の子なのだ。
       この子たちも、そしてこの子たちを生んだあなたも神となるのだよ』
       こうして十二人の子どもたちは、十二方位の守護神となったのでした。
       一番目の子どもが祀られているのは、池間島の大主(ウパルズ)御嶽ですが、伊
       良部島へ移り住んだ人々が分祠として祀ったと考えられるのが、ここ伊良部島の
       大主御嶽です」
  住  所:沖縄県宮古島市伊良部
  電話番号:
  ひとこと:この神話もかなり面白いですよね。

       まず、女性は卵を産んだのだけれども、なぜそんなことになったのかわからずオ
       ロオロしているところを見ると、神様と女性との間に、何か肉体的(?)な交渉
       はなかったということでしょう。
       
       これは、いわゆる阿加流比売の伝承と似ていると思いませんか?
       
       阿加流比売は、古事記の応神天皇記に登場する女神です。
       その部分を転載しましょう。
       
      「また新羅の国王の子の天の日矛という者がありました。この人が渡って参りまし
       た。その渡って来た故は、新羅の国に一つの沼がありまして、阿具沼といいます。
       この沼の辺である賤の女が昼寝をしました。そこに日の光が虹のようにその女に
       さしましたのを、ある賤の男がその有様を怪しいと思って、その女の有様をのぞ
       き見しました。しかるにその女はその昼寝をした時から妊んで、赤い玉を生みま
       した。
       そののぞき見していた男がその玉を乞い取って、常に包んで腰につけておりまし
       た。この人は山中の谷間で田を作っておりましたから、耕作する人たちの飲食物
       を牛に負わせて山谷の中にはいりましたところ、国王の子の天の日矛にあいまし
       た。そこでその男に言うには、『お前はなぜ飲食物を牛に負わせて山谷に入るの
       か。きっとこの牛を殺して食うのだろう』と言って、その男を捕らえて牢に入れ
       ようとしましたから、その男が答えて言うには、『わたくしは牛を殺そうとは致
       しません。ただ農夫の食物を輸送しているだけです』と言いました。それでも
       しませんでしたから、腰につけていた玉を解いてその国王の子に贈りました。よ
       ってその男を赦して、玉を持って来て床の辺に置きましたら、美しい嬢子になり、
       ついに婚姻して本妻としました。その嬢子は、常に種々の珍味を作って、いつも
       その夫に進めました。しかるにその国王の子が心奢りして妻を罵りましたから、
       その女が『大体わたくしはあなたの妻になるべき女ではございません。母上のい
       る国に行ってしまいます』と言って、ひそかに小船に乗って逃げ渡って来て難波
       に留まりました。これは難波の比売碁曾の社においでになる阿加流比売という神
       です。」
       
       つまり、阿加流比売の母親は、太陽の光で孕んだんですね。
       そして生まれたのは、赤い玉(卵?)。
       
       そして玉から生まれたのが、阿加流比売というわけ。
       
       この阿加流比売は、常に種々の珍味を作ったとありますから、やはり何か不思議
       な力を持っていたのでしょう。
       
       しかし、阿加流比売伝承では、生まれたのは姫神であり、またその母親にはなん
       の悦びも授かっていません。
       
       それに比べると、ここ大主御嶽の伝承では、生まれたのは十二方位の守護神であ
       るというように、その神の性質がはっきりしていることが興味深く思われます。
       
       また、その母親も一緒に神になっているということ。
       
       大主御嶽は、漲水御嶽と同じく、琉球王朝以前の信仰の場であったようです。
       
       とすれば、「卵生」「処女受胎」「十二方位の守護神」などという思想が、古く
       宮古にあったということでしょうか?
       
       そもそも、卵から生まれる、母が処女(じゃないにしても性行為なしの)出産な
       どという、「異常な出産」は、それによって生まれた人物の特異性や貴人性など
       を語りたいがためにできた伝説なような気がします。
       
       神の子ならば、わざわざそういうややこしいエピソードを付け加える必要もない
       と思うのですが。
       
       とすれば、この十二柱の神のモデルとなった人物がいたということも考えられま
       すが……。
       
       十二という数、しかも方位の守護神という、ある種非現実的な性格付けを見ると、
       モデルがいたというのもピンときません。
       
       そもそも、十二方位というように、方位を十二に分割するのって、世界的な感覚
       でしょうか?
       中国にあることは知っていますが……。
       
       んなことを考えると、この御嶽の伝承は、想像以上にいろんなものが混じってい
       るのかもしれませんね。
       
       ただ、卵生神話がこの宮古にある。
       そのことにのみ注目した方が良いのかもしれません。

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