祭 神:豊受毘売神 國常立尊 天水分神 天照大神 伊邪那岐神 伊邪那美神 天御中主神 海津見命 猿田彦神 我野姫命 説 明:ご由緒書を転載します。 「由緒 宮津の地名は、当神社の祭神を海辺に祀り、宮の津と称せしにはじまる。現境 内は、宮の津即ち宮祭る港の址なり、海中の巌を今日も遺す。此巌は神の依代 で、万代の巌又は『波越巌(なみこしいわ)』と呼ぶ。 当神社の社殿は室町代以前、既に創建せられ、天御中主神、伊邪那岐、伊邪那 美神、豊受神、海津見神、猿田彦神、我野姫を斉くに創り吾野の宮と称し、式 内の名社なり。 文明二年四月二十一日、時の守護職一色氏が丹後国一宮の祭神天水分神他三柱 の神を合祀し、そのべつくうと成す。 丹仁波古記や吉田神名帳並に裁許状に載る一宮べつくう大明神、丹後国一宮べ つくう総社、子守神べつくう大神宮又、江の島の宮とは当社の事である。後、 和貴宮と改る。たたえて天地懸橋の宮と呼ぶ。古来、旧宮津地区東部のうぶす な神で祭神は五穀豊穣産業発展並に豊漁、航海安全の神であると共に和合円満、 方位八方の守護神として近郊よりの信仰者も激増、旧来神前結婚の挙式が多い。 鏡池 境内の池を鏡池と呼ぶ。この池は後代のものであるが、紙片の上に菓子一片を 載せて水面に浮かべ、早く沈むと良縁が結ばれると云い、池の中にすむ鯉がそ の紙にふれると、更にその縁に幸運を得るとも伝う」 住 所:京都府宮津市宮本 電話番号:0772−22−2773 ひとこと:「和貴宮(わきのみや)」という名から、境内に泉が湧いているようなイメー ジを持っていたんですが、どうやらそういうわけじゃないみたい。 海辺の宮。 波を分ける巌の宮。 そういうことでしょうか。 さて、個人的に気になったのが、鏡池の伝承。 池に紙片を浮かべ、重石を乗せて、その沈む速さで、良縁が結ばれるかどうか 占う ……この様式の占いは、どちらかというと、島根県にある八重垣神社の占いの 方が有名かと思います。 そして、この八重垣神社の池の名も、「鏡池」。 櫛稲田姫が自分の姿を映したとされる伝承の残る池です。 ですから、この和貴宮神社の鏡池も、八重垣神社の伝承を引き継いだのでしょ うね。 ただ、八重垣神社の占いの場合、早く沈めば沈むほど、早く結婚できるという ものでした。 結婚は早ければ良いってもんではありませんから、早く沈めば良縁を授かると いう方が、ありがたいような気もします(^^ゞ まったく個人的な話ですが、あれはもう15年ほど前、八重垣神社の鏡池で、こ の占いをしたことがあります。 私は、10秒ほどで沈んだんです。 なのに。 家に帰って、親に話しても、(私を溺愛していたといってよい)祖母に話して も、もちろん友達に話しても、 「それ、嘘やろ?」 「その占い、当たらへんねんな」 「はっはっは。見栄はらんでええから」 という答えが返ってきたのは、まったくもって、納得いかん。 とはいえ、結婚したのは、それから5年以上後のことだったので、 「早く結婚できる」 というのは、たしかに当たってはなかったかもしれません。 さてさて。 次に、我野姫命について。 我野姫命は、御祭神の順番としては、最後に記載されていますが、往古、この 神社を、「吾野神社」と呼んだことを考えれば、重要な神様なのでしょう。 また、丹後地方では、この神様を祭る神社が何社かあることを考えれば、地主 神なのかもしれません。 残念ながら、日本神名辞典で調べてみましたが、この神名はありません。 近い神名としては、「阿野比売」があり、彼女は彦湯伎命の妻であるとのこと。 彦湯伎命は宇摩志摩治命の子であるということを考えれば、物部氏系統かもし れませんね。 また、彦湯伎命は日下部宇治の祖であるということ。 同じ丹後半島で祀られる、浦嶋子もまた、日下部氏であるということを考えれ ば、この地に祀られる、吾野姫は、阿野姫と同一かもしれません。 その神が、当初社名にまでなったというのに、現在では大きく祀られていない ということ。 そのことにこそ、意味を感じるのですが……。 いかがでしょうか。