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陽夫多神社

yabuta-shigaraki





  祭  神:健速須佐之男命 五男三女神 外十六柱
  説  明:境内看板を転載します。
      「由緒
       当社は宣化天皇三年(西暦538年)に、国中に疾病が流行したので、屏息祈
       願のため、伊賀国造多賀連が同年創建したと古書にあり、産土神(守護神)と
       して今日に至る。
       高松神、薮田神の社号あり、又、古くより『河合の天王さん』『河合の祇園さ
       ん』と呼ばれ、氏子崇敬者から親しまれている。
       御神徳
       当社の主祭神健速須佐之男命は、自ら身を以って祓い清めを実践された神様で、
       出雲の国へ下向されて、八岐大蛇を退治され、櫛稲田姫を救われて結婚されて
       から、地方の開拓・治水・農業・薬事の振興に尽くされ、昔から『縁結び』
      『産業』の神として、又、『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣つくる 
       その八重垣を』と詠まれた歌は、日本最初の若として記紀により伝えられてい
       るので、『歌道の神』『文学の神』として崇敬されている。特に『厄除け』
      『災難除け』『病気平癒』の神としての信仰が篤い。」

      「願之山踊り
       陽夫多神社の祇園祭り(八月一日)に行われ、病気平癒、家内安全の願掛けを
       解く神事として、文禄元年(十六世紀末)より現在の形で行われるようになっ
       たとされる。
       踊りは青年の大踊りと男の子の小踊りに分かれ、太鼓を乗せた屋形が綱で引っ
       張られ、踊り子は『ゲーニモサーニ』のはやし歌にあわせ太鼓を打ちながら、
       境内を何度も往来する。」

      「鞨鼓踊り
       この踊りは、江戸時代の寛永年間に始まるとされ、大江にあった火明神社の境
       内で夏祭り(旧暦六月十四日)に行われていたが、明治四十一年陽夫多神社に
       合祀されてからは、春祭り(四月二十日)に行われる。
       農耕の予祝神事としてはじまる民俗行事の一つで、干ばつの時には雨乞い踊り、
       平穏な時には豊年踊りとして行われる。
       踊り子は頭に山鳥の尾、背中にオチズイと呼ばれる飾りを付け、前には鞨鼓を
       下げ、踊り歌と太鼓、ホラ貝の音にあわせて鞨鼓を叩きながら踊る。」
  住  所:三重県伊賀市馬場951
  電話番号:0595−43−0158
  ひとこと:個人的には、鞨鼓踊りに興味をそそられます。

      「干ばつのときには雨乞い踊り、平穏な時には豊年踊り」
       って・・・。

       本来、お祭りには、また祭りの所作には意味があると思うのです。
       それが、時と場合によって、意味が変わってくるというのは・・・。
       まぁ、本来は、そうではなかったのかもしれませんね。

       さて、この神社のご由緒において、須佐之男命について、
      「自ら身を以って祓い清めを実践された神様」
       と説明されています。

       古事記からその部分を引用してみましょう。

      「ここで神様たちが相談をして須佐の男の命にたくさんの品物を出して罪を償わ
       しめ、また鬚と手足の爪とを切っておいはらいました」

       日本書紀ではこうあります。
       一書(第二)の記述です。

      「罪を素戔鳴尊にきせて、その贖罪の物をとりたてた。手の先の爪、足の先の爪
       を出させ、唾を白ぬさとし、よだれを青ぬさとし、これらで祓い終わって追放
       の刑にされた」

       日本書紀の記述では、「罪を素戔鳴尊にきせて」と書いてありますから、まる
       で、実際のところは、素戔鳴尊には罪がなかったというようにも読めますね。

       ところで、この「罪」とは一体、なんの罪でしょうか。
       はい。そうです。
       高天原きっての大事件、「天照大神の岩戸隠れ」の原因が素戔鳴尊にあったた
       め、その罪を着せられたのですね。

       天照大神は太陽の神。
       素戔鳴尊はその弟で、海の神だとも、風の神だともいわれます。しかし、この
       男神は乱暴で、田を壊したり、汚したり、ついには稚姫という織女を殺してし
       まったため、怒った天照大神は岩戸に隠れてしまったのでした。

       太陽が岩戸に隠れたわけで、空は真っ暗。
       地は闇です。

       そこで神々は相談し、天宇受女に舞を舞わせ、鶏に鳴かせ、大騒ぎをします。

      「なにかしら?」
       と天照大神が顔をのぞかせると、自分そっくりな女神が岩戸の前に立っていた
       からどびっくり。

       なんのこたぁない。
       その女神とは、天照大神が大きな鏡に映った姿なんですが、たぶん慌てていた
       んでしょうね。
       立ちすくんでいたところに、高天原きっての馬鹿力の持ち主であった、手力男
       命が扉を押し開き、天照大神を岩戸から引っ張り出したのでありました。

       その大鏡こそが、現在、「八咫鏡(やたかがみ)」と呼ばれるもの。
       伊勢神宮のご神体とされており、いわゆる皇室の三種の神器の一つです。

       三種の神器のうち、八咫鏡と八坂瓊の勾玉の二つが、この天岩戸事件の際に作
       られたもの。

       また、後に瓊々杵尊の天孫降臨の際に五伴緒としてつき従うのは、天児屋根命・
       布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命。

       天児屋根命は天岩戸の前で祝詞をあげた神様。
       布刀玉命は、同じく幣を捧げ持った神様。
       伊斯許理度売命は、八咫鏡を作った神様。
       玉祖命は、八坂瓊の勾玉を作った神様。
       そして、天宇受売命は、前述のとおり、天岩戸の前で舞を舞った神様。

       つまり、主要な神すべて、この岩戸事件にかかわっているということがわかる
       でしょうか?

       天岩戸事件とは、それほどに重大な事件だったということでしょう。

       その事件を引き起こしたとされるのが、素戔鳴尊。

       日本書紀・一書(第二)では、そのことを
      「罪を素戔鳴尊にきせて」
       と表現し、

       ここ、陽夫多神社のご由緒では、
      「自ら身を以って祓い清めを実践された」
       と表現していることは、興味をそそられます。

       本来、素戔鳴尊にはなんの罪もなかった・・・と読めるからなんですよね。

       実際問題、スケープゴードってそんなもんです。

       しかし・・・しかし。

       なぜ、彼がスケープゴードに選ばれたのかは、なぞです。
       そもそもそういう宿命を持って生まれてきたのか。
       たまたまそういうときに、この地を通りがかった旅人だったのか。
       それとも・・・そういう職種だったのか。

       ただ、そのことは大きな問題ではないのかもしれません。
       大事なのは、そのあとも、この神が英雄として活躍し、「結婚」という快挙を
       成し遂げ、日本最初の和歌まで作ったということ。

       素戔鳴尊は滅びず。
       興味深い神だと思います。

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