祭 神:由加大神 八幡大神 素戔鳴大神 他二十余柱 説 明:公式サイトから転載します。 「当神社の創立は奈良時代と考えられています。保存している平安時代天永3年(西暦1112年)の棟札(まなふ だ)には、遠き昔、和気氏が新田郷の総鎮守として西久保方の方の上に八幡宮を建立したことが記されてい ます。爾来、和気氏(郡司)藤原氏(地頭)明石、浦上、宇喜多氏等有力者の崇敬が篤く、特に、播磨、備 前、美作の守護であった赤松氏の崇敬が篤かったとされています。 南北朝時代、赤松則祐が足利尊氏に従い、九州で戦った時、宇佐八幡宮に参籠し戦勝祈願を行ったところ軍 利を得たので神助に報いるため建武四年(1338年)当神社を新しく造営し、現在の位置に遷宮しました。 明治5年郷社に列せられ、由加神社と改称しました。 明治42年各地区のお社を合祀し現在に至ります」 住 所:岡山県和気郡和気町大田原438 電話番号: ひとこと:南朝の香りが深いことと、「和気」の地名にはひっかかりを感じていること、そして、謎の深い由加大神に 惹かれて参拝しました。 由加大神を祀る神社としては、倉敷にある由加神社本宮が有名ですね。 金毘羅さんと関係が深いともされます。 和気氏はこのあたりの出身だと考えられていますが、和気氏でも特に有名なのは、清麻呂でしょう。 称徳天皇が弓削道鏡を天皇にしようとしたとき、和気清麻呂が宇佐八幡宮から「道鏡を天皇にしてはならぬ」 という神託を賜って帰ったので、いきなり出世したんです。 でも、それまで彼がどんな役職だったのかはよくわかりません。 称徳天皇は、姉の広虫を宇佐に派遣しようとしたのですが、広虫は体が頑丈ではなかったので、弟の清麻呂 が代参したという事情が伝わっているのみ。 ところで、滋賀県にある天川命神社は、藤原氏の始祖から58代の神が祀られています。 始祖の建速産霊神から、58代目の清麻呂卿までなのですが、藤原の清麻呂って、聞いた事がありますか? 私は、天智天皇と中臣鎌足は物部氏であり、大和朝廷の王だった蘇我氏を倒して支配者となった。 その際、天智は王家、鎌足はそのごく側近となったため、代々、天皇家と藤原氏は密接な関係なのであると いうような妄想を抱いているのですが、もしそれが大きく外れていないのなら、道鏡は同族にあたります。 道鏡は弓削氏、物部氏の一派ですからね。 つまり、道鏡が天皇になるのは、血筋的に問題はないんじゃないかと。 そこにもし、清麻呂が藤原氏の一員なのであれば、道鏡事件は同族内の内輪もめじゃん……と(笑) あくまでも妄想ですけどね。 そんなこともあって、お参りしました。