祭 神:豊受大神。左は大川大明神、右は八大龍王 説 明:かつては皇大神を祀り、いわゆる元伊勢を移したものとの説も あるが、これは附説であり、やはり文殊信仰が流行した平安末 期から鎌倉時代にかけて、文殊堂境内鎮守として祀られたもの と考えたい、とあります。 なんと、天橋立という場所は、「文殊堂 智恩寺」の境内地な んですね。広さもさることながら、長さがすごい(^^ゞ 大川大明神というのは、舞鶴市にある大川神社の祭神のことで しょうか?保食神を主祭神としている神社です。 住 所:京都府宮津市天橋立 電話番号: ひとこと:この神社がある、智恩寺には、六〜七百年の昔に伝承を集めて 作られた古文書、「九世戸縁起」が伝えられています。 その内容を紹介しましょう。 「むかし、むかしのこと、伊弉諾尊・伊弉册尊という二柱の神様 が日本の島々を造られていた時代の話。 この神様が地上をご覧になると、あらうみの大神がこの地を占 領して大暴れしていて、人も住むことができません。 神様たちは、毎日相談しました。やがて伊弉諾尊が申されます には、何と言っても今中国の五台山におられる文殊菩薩こそ、 智恵第一の仏様で、昔から龍神の導師である。あらうみの大神 もきっと改心するであろうと。 そこではじめて五台山より海を越えて文殊菩薩をこの島に請待 いたしました。 文殊菩薩はこの島で千年の間説法をされました。龍神みな集ま って教えを聞き、すっかり感心して今後は仏法を信じ、人々を 守る神々になるように誓いました。そこで天橋の浦を千歳の浦 といい、説法のお経を置いたところを経ケ岬といいます。 神様方は文殊菩薩の手に持たれる如意に乗って海に降りられま した。如意が浮かんだのを天の浮橋といい、着かれた地を宮津 といいます。 文殊菩薩は宮津にしばらく住まわれますのに、龍神たちが皆々 集まって、菩薩から戒を授かって弟子になりました。この所を 戒岩寺といいます。文殊菩薩が獅子で上陸された所を獅子崎と いいます。 如意を海に浮かべた天の浮橋に、龍神が一夜で土を置いて島に しました。この島にまた天人が天降って一夜で千代の姫小松を、 松明をとぼして植えました。そのうちに夜が明けてきましたの で、植えるのをやめて火を置いて天に帰りました。 火を置いた所を火置(日置)といいます。この島が天橋立です。 天神七代すぎ、地神二代。合わせて九代にできたので、土地の 名を九世戸と名づけます。 土地は平和になり、人々も住み付くようになりました。 九代をかけてできあがった天橋立に文殊菩薩をお迎えすること になりました。 海には龍神の龍燈、天には天燈が献じられ、人々は海上に松明 を照らし、船を出して文殊菩薩をお迎えしました。これが今日 まで伝わる七月二十四日の出船祭りの始まりです」 太古、神様と仏様は大らかで、お互いに行き来があったのです ね。 神様にも、「思兼命」など、知恵者はたくさんおられるのです が、ここは「ちょっと外国の偉いさんに口聞いてもらおか」っ てなもんでしょうか? 20〜30分ほどかけると、天橋立は横断できます。 その途中浜辺に出てみると、夕方なら、夕日が朝なら朝日がき れいに海面に反射します。 だって、両側に浜辺があるから。 波の作用でできた、と頭でわかっている現代の私にさえ、この 天橋立は不思議に見えます。 古代の人が、「これは、神様だけじゃなく、仏様も加わってで きたに違いない」と考えるのは、無理のないことなのかもしれ ません。