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愛宕神社

atago




  祭  神:火雷神
  説  明:全国どこに行っても、愛宕神社の祭神は、火迦具土神(ほのか
       ぐつちのかみ)、別名・火産霊神(ほむすびのかみ)・火雷神
      (ほのいかづちのかみ)です。
       この神は、字の如く、火の神様で、この神様を産み給うた時、
       伊邪那美命はほとを焼かれて、絶命されたのです。
       この神の死体から、穀物神などが生まれておられます。
  住  所:大阪府堺市福田
  電話番号:
  ひとこと:ただ、火雷神と名乗る神様は、実はたくさんいらっしゃるんで
       す。

       まず、鏑矢神たる大山咋神も、別名・火雷神と呼ばれます。
      (山城国風土記逸文によります。) 
       また、黄泉の国で伊邪那美命の腐乱死体から産まれた八柱の雷
       神のうちの一柱の名前も火雷神。母の胸から生まれています。
       そして、も〜〜〜〜っとややこしいことに、京都の御霊神社に
       祭祀されている火雷神は、井上内親王の皇子・他戸親王の同母
       弟ですが、井上内親王が、五條の地に幽閉された後に身ごもっ
       たことになっています。父親は誰なんでしょ??
       この神様は、御霊・・・つまり祟る神様ですので、菅原道真公
       とも混同しているかも知れません。

       この神社は、なんといっても「愛宕神社」なので、この火雷神
       は、火迦具土神のことだとは思うんですが、何気に「火雷神」
       を調べて、目を回してしまいました。

       ちなみに、「秋葉神社」というのも「愛宕神社」と源を同じく
       し、火雷神を祭祀しているのだそうで、火伏の神様として、江
       戸時代もてはやされたのだそうです。
       木と紙で出来ている日本の家屋が密集していた江戸では、一度
       火事が起こるや、かなりの勢いで大火へと進化していったから
       です。(でも、この火事が無ければ、八百屋お七の物語は生ま
       れませんでしたね)
       そんなわけで、この秋葉信仰が大流行し、江戸中に秋葉神社が
       祭祀されて行くので、徳川幕府が貞享2年(西暦1685年)
       禁令を出した程だったそうです。
      「秋葉原」の地名は、この秋葉信仰の名残なんだそうですよ。

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