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鼻川神社

hanakawa




  祭  神:神功皇后 素盞鳴尊
  説  明:栞によりますと、
      「当社は、神功皇后、鹿嶋に御幸の砌、この地(現在地)を御野
       立所とした時、住民高貴の御来所を知り、取り急ぎ搗き立ての
       餅を柏の葉に載せ、野咲きの草花を束ね添えたところ、殊の外
       麗しくご賞味され、種々御下問有り、当地無名なるを聞召され、
       地形対岸に突き出し、恰も鼻の如きを奇とせられ、地名を「は
       なかわ(鼻川)」と御命名賜いしに依り、由来此地を「鼻川の
       里」と称えて慈しみを仰ぎ、この尊き御命名を祈念して、一堂
       宇を建て、神功皇后を祀りて後、住民出生の対岸海老江の氏神
       素盞鳴尊を併せ奉斎し、地名を冠して鼻川の社と呼称した。」
       のだそうです。
  住  所:大阪市西淀川区花川2丁目1−12
  電話番号:06−6471−3903
  ひとこと:お餅というのは、いつからあったのでしょう?
       古来、餅搗きは、「ハレ」の時しかしなかったのだそうです。
       お正月や結婚式などの時ですね。

       反対に、「お餅を搗く」行為が、「ケ」である日常を「ハレ」
       に変えた、とも言えるのかも知れません。

       そんなことを考えますと、この村人達が、神功皇后を迎えて、
       お餅を搗くという行動は、ごく自然なことだと思い当たります。

       縁起物としてのお餅には、例えば、平安時代に男が女と懇ろに
       なった時は、次の朝、「後朝の文」を送り、その後三日夜通う
       と、ここで晴れて、「正式の婿」として扱われます。
       その時に贈られるのが、「三日夜の餅」。
       言ってみれば、結婚の証ですね。ウェディングケーキではなく、
       ウェディングお餅なわけです。

       その他にも、餅撒きの神事は、「餅」=五穀の象徴でしょう。

       また、「半夏生(はんげしょう=半夏(カラスビシャクの漢名)
       という薬草の葉が白くなるところからきていて、この日は天か
       ら毒気が降るとか、地が陰毒を含んで毒草を生じるとして、す
       べての野菜を食べず、種を蒔くことを忌むなどの禁忌がある。
       他に天からの毒気が水に混じるとして井戸に蓋をする俗信があ
       った。)」の日(七月一日から二日)までには、田植えを終え、
       もち米と小麦粉を混ぜて搗いた、半夏生の餅を作ります。

       そして、一番身近な「縁起物のお餅」は、鏡餅でしょうね。
       お正月に新年の歳神を迎えるためにするお供え物の意味があっ
       たのだそうです。

       こんな風に、お餅は、古代から、とても神聖なものだったので
       すね。
       神功皇后がお餅を食べたというのも、最高のもてなしをされた、
       という意味だったのでしょう。

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