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伊砂砂神社

isasa




  祭  神:伊邪那岐命 素盞鳴命 寒川比古命 寒川比女命 石長比賣命
  説  明:この神社の創建は、應仁二(西暦1468年)年十一月十三日
       となっています。
       創建時の社名は、「渋川大将軍社」です。
  住  所:滋賀県草津市渋川1丁目11−32
  電話番号:
  ひとこと:伊邪那岐命・素盞鳴命・石長比賣命という顔ぶれは、異色です。
       国造りの雄と、その息子の暴れん坊、そして、瓊々杵尊に振ら
       れた長寿の女神。あまり繋がりがありませんから、寒川比古命
       と、寒川比女命に注目してみましょう。

       この二柱の神様は、神奈川県高座郡寒川町にある「寒川神社」
       の祭神です。
       この神社は、相模国一之宮。延喜式神名帳にも記載される、由
       緒正しい神社です。創建は、雄略天皇の御世と伝えられます。
       相模川治水の為に創建されたと言われ、この祭神は、国土開拓
       を担う、国津神であろうと言われます。
    
       また、この神社では、寒川比古命・寒川比女命を夫婦神として
       います。

       じゃあ、この神社から、この神様二柱は勧請してこられたのか?
       一説には、鎌倉時代の武将・佐々木高綱が、鎌倉在府の折りに
       この神を信奉し、後に、領国近江に帰ったときに、この神を勧
       請した・・・と言われていますが、ちょっと待ってください。

       四国は、香川県大川郡寒川町というところに、「大蓑彦神社」
       があります。

       特選神名牒に「水霊の説いと由ありて聞ゆ故考へるに延暦儀式帳
       に牟祢神社は大水上 児寒川比古命寒川比女命と云う、又那自売
       神社は大水上御祖命なり。 
       大水上神、大水上御祖命同神にて、此大蓑彦命も大水彦神の義な
       らん。 
       郡名は寒川比古命、寒川比女命に由ありと思うべし」とあるそう
       です。つまり、ここでは、寒川比古命・寒川比女命は、大水上神
       の子供で、兄妹ですね。牟祢神社の祭神であるとなっています。

       この「大蓑彦神社」の祭神と、「寒川神社」の祭神が同一神であ
       るのか、偶然同じ名前である別神であるのか、で話は違ってくる
       でしょう。

       大蓑彦神社の寒川比古命・寒川比女命は、はっきりと治水・水利
       の神様であると書かれていますから、相模川の治水の為に、この
       神様を誰かが勧請したのだとしたら、雄略天皇の時代に、讃岐の
       国から、相模の国まで神様を運んだ人物がいることになります。

       大水上神は、三重県「鴨神社」の祭神・石己呂和居命の御親神で
       あり、香川県は高松市にも、「大水上神社」があります。

       そんなことを考えると、どうも、寒川比古命・寒川比女命の起源
       は、讃岐国にあるのではないかと思えます。

       この神様を、太古にはるばる相模国まで運んだ人物なり、文化な
       りがあったのでしょう。

       その神様が、また時代を経て、近江国まで運ばれてきているので
       すね。そして、この先、またどこかへ運ばれるのかも知れません。

       長生きはするものですね(?)

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