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春日神社・穂椋神社・意賀美神社

kasugasanbayashi

春日神社

kasugasanbayashi

穂椋神社

kasugasanbayashi

意賀美神社




  祭  神:春日神社 :武甕槌命 天兒屋根命 經都主命 比賣大神 比賣命
             白山比賣命 大山命 伊弉那美命 素盞嗚命 佐太彦神
             品陀別命 若年神 菅原道眞
       穂椋神社 :保食神
       意賀美神社:高おかみ神
  説  明:境内の案内によりますと、
      「神護景雲年間常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国御蓋(今の三笠
       山)に御遷座の砌り近郷の民、この地に集い頓宮を造営次いで天児屋
       根命・比賣大神を斎祀して春日大明神社と称し、池田国池田郷の鎮守
       としてと崇敬されるに至った。 
       爾来三林村・和田村・浦田村・万町村・鍛冶屋村・室堂村・池田下村
       の七ケ村が氏子としてこれを守護し、その社地四万六百八十坪、享保
       三年六月十九日神祇官より正一位の神位を授かり、春日大明神と尊称
       さる。明治に至り、社格郷社同四十年神饌幣帛供進社に指定され、同
       四十二年九月南池田村及北池田村の村社、無格社を、大正四年七月和
       田小倉山の式内穂椋神社、万町中山々の意賀美神社を合祀し現在に至
       る。
       末社に玉福稲荷神社あり。」
       とあります。
  住  所:大阪府和泉市三林町591
  電話番号:
  ひとこと:神護景雲年間というと、西暦767年から770年の間になります。
       この時代、何があったか、ちょっと調べてみましょう。

       在位中の天皇は、「称徳天皇」。
       女帝です。

       彼女は二つの天皇としての諡号を持っています・・・つまり、重祚し
       たんですね。

       初めて即位した時の諡号は、「孝謙天皇」。

       つまり、この神護景雲年間というのは、この女帝が2度目の即位から、
       その後3年強の間のことになります。

       この間、「春日大神」をお祀りしている藤原氏にどのようなことが起
       きたのでしょうか。

       そもそも、この女帝は、藤原仲麻呂を超お気に召しておりました。
      「顔みただけで微笑っちゃうわ。」
       なんてことで、「恵美(えみ・笑)押勝」という名前をつけちゃうほ
       ど好きだったんです。

       この藤原仲麻呂ってぇ人物は、孝謙(称徳)天皇の母親である光明皇
       后との不倫の噂もあるくらいで、結構な色男だったようです。

       しかし、母親と噂されるくらいですから、仲麻呂と女性の年の差は、
       結構なもんでしょう。
       仲麻呂西暦706年生まれ。
       孝謙天皇西暦718年生まれ。
       12歳の差ですね。
       女帝が、淳仁天皇に譲位したのは、39歳の時。
       仲麻呂は、51歳。

       そうすると、女帝にかかった魔法もそろそろと醒め初めてきます。
       仲麻呂の後押しで、淳仁天皇に譲位した女帝ですが、なんとなく、ど
       こかで違和感を感じていたのではないでしょうか。
       そこへ現れたのが、「皇位を狙った怪僧」と現在では言われている、
       弓削道鏡です。
       すっかり心変わりをした女帝は、淳仁天皇から皇位を剥奪し、自分が
       天皇に返り咲いた、というわけ。

       当然の如く、淳仁天皇即位にあたって右大臣まで上り詰めて、我が世
       の春を謳歌していた藤原仲麻呂は面白くない。
       不安と焦燥にかられる。

       そして、道鏡を排斥しようと反乱。
      「仲麻呂の乱」を起こします。
       これが、天平宝字8年(西暦764年)、9月のことです。

       つまり、この神社創建の時代、藤原氏は、天皇からかな〜〜り、冷た
       くされていたんですね。

       藤原氏の領地であった、この春日神社の辺りを、藤原氏の氏神である、
      「武甕槌命・天兒屋根命・經都主命・比賣大神」という顔ぶれがこの地
       をこぞって訪れたのは、偶然ではないでしょう。

       この神社の境内には、「式内社」が2社合祀されています。

       実は、この「隅に祀られている神々」を見た時、「藤原氏に追いやら
       れた神様達なのか?と穿ってしまったのですが、そうではなく、近年
       合祀されたのですね。

      「穂椋神社」ほくらじんじゃ?ほむらじんじゃ?
       稲穂の生い茂る田圃の神様でしょうか?
       保食神(うけもち・五穀の神様)ってのもうなづけますね。

      「意賀美神社」おがみじんじゃ?いがみじんじゃ?
       実は同名の神社が、大阪南部に点在します。
       いずれも、高おかみの神か、闇おかみの神様を祀った神社で、水に
       対する信仰のあらわれでしょうか?

       五穀の神様と水の神様という組み合わせは素敵ですね。

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