kenkou

越木岩神社

koshikiiwa




  祭  神:蛭子大神
  説  明:この神社は、甑岩を霊岩とし、古代信仰の磐境・磐座信仰の
       名残があります。
       また、延喜式神名帳に記載されている、「大国主西神社」が
       この神社のことではないかと言われています。

       明歴二年(西暦1656年)に西宮戎神社から、蛭子大神を
       勧請し、今に至っているのだそうです。
  住  所:兵庫県西宮市甑岩町5−4
  電話番号:0798−71−8375
  ひとこと:『摂陽群談』に「蛭子浦(ひるこのうら)とあり、武庫郡西
       宮の浦あたりをこう呼ぶ」とあるのだそうですが、これは、
       天磐矛象樟船に載せて流された、伊邪那岐命・伊邪那美命の
       不具の子・ヒルコ神が、西宮に漂着したという伝説があるか
       らなのだそうです。
       勿論、記紀には、このヒルコ神がどこに漂着したかははっき
       りと書かれてはいないのですが、西宮神社の伝記ではそうな
       っているのだそうです。

       神社境内にある、「甑岩」は、高さ10メートル、周囲30
       メートルの花崗岩。岩上には雑木が生じているとか。

      「甑」とは、セイロのことだそうです。セイロに・・・、似て
       ますかね?

       安産の神と呼ばれ、大阪城築城の時、秀吉が、この岩を切り
       出そうとしたところ、今にも割れんとする岩の間より鶏鳴し、
       白煙が立ち上り、その霊気に石工達は岩もろとも転げ落ちた
       んだそうです。

       白煙と霊気はいいんだけど、なぜに、鶏??

       蛭子大神を勧請してきたのは、1656年。秀吉の大阪築城
       は、1583年ですから、この時、まだ、蛭子神と、この神
       社は、関係なかったでしょう。鶏と何か関係があったのかも
       知れません。

       しかし、岩を切り出していて、「こけっこっこ〜」・・・、
       恐ろしいというよりは、なんか、滑稽ではあります。

       さて、この神社の延喜式神名帳での名前は、「大国主西神社」
       もともと、大国主を祭祀していたのならば、なぜ、「蛭子神」
       を勧請せねばならなかったのかは、興味があります。

       単に人気にあやかったのか、神功皇后凱旋の時、長田神社に
       鎮座されたと日本書紀に記されている、大国主命の息子・事
       代主命に関係があるのか。

       蛭子(ひるこ)神・事代主命共に、えびす神と同一視され、
       しかも、蛭子神は、西宮に漂着し、事代主神は、神功皇后が
       三韓から返ってきた時に、「長田神社にわが魂を置け」と、
       言ったというのが、何かの暗示に思えてなりません。
       西宮市と神戸市長田区は、ご近所ですからねぇ・・・。

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