祭 神:蛭子大神 説 明:この神社は、甑岩を霊岩とし、古代信仰の磐境・磐座信仰の 名残があります。 また、延喜式神名帳に記載されている、「大国主西神社」が この神社のことではないかと言われています。 明歴二年(西暦1656年)に西宮戎神社から、蛭子大神を 勧請し、今に至っているのだそうです。 甑岩の説明を転載します。 「祭神:甑岩狼 岩社御祭神 市杵島姫大神 前方に鎮座する当社のご神体『甑岩』は、周囲約四十m、高 さ重mの大怪岩(花崗岩)で、酒米を蒸す時に使う『甑』と いう道具に似ていることから名づけられました。 この地域一帯にひろがる磐座群の象徴として祀られており、 延喜式神名帳(九二七年)に大国主西神社として記録され、 摂津志(一七三五年)や摂津名所図会(一八三六年)による と『甑岩神祠は越木岩村にあり祭神巨岩にして倚畳甑の如し、 此地の産土神とす』と記してあるように、霊験あらたかな霊 岩です。 岩社御祭神は市杵島姫大神で、古くから特に女性守護・安産・ 子授の神様として信仰されています。俗に辯財天と称せられ、 音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結 びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である『幸福の女 神』、七福神の一つとして御神徳の高い神様であることから、 子どもの成長や芸能の上達を祈る神様としても信仰を集めて います。 甑岩と大坂城築城 豊臣秀吉による大坂城築城の際、村人達の制止の懇願にもか かわらず、石工達がこの霊岩を切り出そうとすると、鶏鳴し、 真っ白な煙が立ち上り、その霊機に石工達は転げ落ち倒れ臥 し、如何にしても運び出せなかったと伝えられています。 徳川秀忠による時も切り出されそうになりましたが、霊岩だ けは運び出すことができなかったようです。 甑岩や境内の残石には、池田備中守長幸、鍋島信濃守勝茂の 刻印や矢穴・ノミ跡が残されています。 奉納 株式会社赤ちゃんの城」 住 所:兵庫県西宮市甑岩町5−4 電話番号:0798−71−8375 ひとこと:『摂陽群談』に「蛭子浦(ひるこのうら)とあり、武庫郡西 宮の浦あたりをこう呼ぶ」とあるのだそうですが、これは、 天磐矛象樟船に載せて流された、伊邪那岐命・伊邪那美命の 不具の子・ヒルコ神が、西宮に漂着したという伝説があるか らなのだそうです。 勿論、記紀には、このヒルコ神がどこに漂着したかははっき りと書かれてはいないのですが、西宮神社の伝記ではそうな っているのだそうです。 神社境内にある、「甑岩」は、高さ10メートル、周囲30 メートルの花崗岩。岩上には雑木が生じているとか。 「甑」とは、セイロのことだそうです。セイロに・・・、似て ますかね? 安産の神と呼ばれ、大阪城築城の時、秀吉が、この岩を切り 出そうとしたところ、今にも割れんとする岩の間より鶏鳴し、 白煙が立ち上り、その霊気に石工達は岩もろとも転げ落ちた んだそうです。 白煙と霊気はいいんだけど、なぜに、鶏?? 蛭子大神を勧請してきたのは、1656年。秀吉の大阪築城 は、1583年ですから、この時、まだ、蛭子神と、この神 社は、関係なかったでしょう。鶏と何か関係があったのかも 知れません。 しかし、岩を切り出していて、「こけっこっこ〜」・・・、 恐ろしいというよりは、なんか、滑稽ではあります。 さて、この神社の延喜式神名帳での名前は、「大国主西神社」 もともと、大国主を祭祀していたのならば、なぜ、「蛭子神」 を勧請せねばならなかったのかは、興味があります。 単に人気にあやかったのか、神功皇后凱旋の時、長田神社に 鎮座されたと日本書紀に記されている、大国主命の息子・事 代主命に関係があるのか。 蛭子(ひるこ)神・事代主命共に、えびす神と同一視され、 しかも、蛭子神は、西宮に漂着し、事代主神は、神功皇后が 三韓から返ってきた時に、「長田神社にわが魂を置け」と、 言ったというのが、何かの暗示に思えてなりません。 西宮市と神戸市長田区は、ご近所ですからねぇ・・・。