kenkou

久米御縣神社

kumemiagata




  祭  神:高皇産霊神 大来目命 天櫛根命
  説  明:式内社。
      「日本の神々」によれば、ご祭神三座は、いずれも、久米氏の、祖
       神・遠祖とされる神々であるそうです。
  住  所:奈良県橿原市久米町宮ノ谷
  電話番号:
  ひとこと:「御縣」と社名につく神社は、奈良だけで、七社あるようです。

       この神社は、久米という「縣」に鎮座した神社なわけですね。

       縣とは、何か、実は私もよくわかってないので、この機会に、三
       省堂の「大辞林」でひいてみると、
      「大化前代、大和政権の直轄領。または国造の支配したの地方組織。
       みあがた」
       とあります。

       というわけで、久米という「縣」に「久米御縣神社」が鎮座する
       というごくごく自然なことを、たいした知識なしに述べるのは、
       遠慮いたしまして。

       神様について、ちょっと調べてみましょう。

       天櫛根命は手持ちの資料ではわかりませんでした。
      「日本の神々」に、久米氏の祖神・遠祖である、と記載されている
       のみです。

       大来目命。古事記に出てくる神様です。
       兄宇迦斯を道臣命と共に討った、武勲も注目に値しますが、私が
       目を魅かれたのは、神武天皇に、伊須気余理比売を紹介し、姫に
       輿入れを勧める場面です。

       姫は、大来目命を見て、
      「あなたは、すばらしい勇士だというのに、なぜ目に刺青をしてい
       るの?」
       と、尋ねます。

       すると、大来目命は、
      「お嬢様に、すぐに会おうと思って、目に刺青をしたんですよ」

       この返事を聞いて、姫は輿入れを承知します。

       このなんでもない会話に、姫を説得する力があるんですね?
       何か含むところがあるんでしょうか?

       姫の言葉からすると、目に刺青をするのは、勇士らしくないこと
       なようです。

       刺青とはどんな意味を持つのでしょうか?

       魏志倭人伝、覚えておられますか?
       歴史で習いましたよねぇ?
       私も名前だけは覚えてます。えぇ、名前だけです。
       ので、一緒に復習しましょう。

       中国、西晋の時代、陳寿という人が著わした「三国志」の中の
      「魏略」の中の「烏丸・鮮卑・東夷伝」倭人の条にある約二千文字
       程度の倭人に関する文章を、通称「魏志倭人伝」と呼ぶわけなん
       だそうです。

       成立は3世紀と言われているようです。
       日本書紀に書かれている年代が正確であれば、開化天皇・崇神天
       皇・垂仁天皇の時代のいずれか、ということになるでしょうか?

       魏志倭人伝には、「卑弥呼と呼ばれる女王がヤマタイコクを支配
       していた」と記載のある時代のことですね。
       あれ?おっかし〜〜〜なぁ。あり〜〜〜???

       いやいや、まぁまぁ、ヤマタイコクと大和朝廷が同じでないなら
       ば、なんの矛盾もありませんね。
       きっと、まったく別物なのでしょう。えぇえぇ。

       その魏志倭人伝に、
      「(倭人は)男子大小となく皆鯨面文身す」という記述があります。
       鯨面とは顔の刺青。
       文身とは体の刺青を指すようです。

       つまり、3世紀ごろ、中国の人が見た日本人は、どの人も、刺青
       をしていた、とあるわけなんです。
       しかも、子供も。

       でも、子供のころ刺青をしちゃったとして、大人になって取ろう
       とすれば、現代でも大手術ですよね?

       いや、取れないのかも知れない。

       とすると、姫の言うとおり「勇士なのに刺青(鯨面)しているの
       がおかしい」のだとしたら、勇士は子供のころに決まってしまっ
       ていることになります。

       もし、神武天皇の時代と、魏志倭人伝の時代の刺青の風習が、同
       じだったら・・・ですけどね。

       勇士の家系に生まれた子供は、勇士になる。
       呪術師の家系に生まれた子供は、呪術師になる。
       才能に関係なく。
       ということになります。

       しかし、大来目命は鯨面をしていたんです。
       そして、すばらしい勇士でもあったんです。

       一般的に、この鯨面文身の習慣は縄文の民のものであった、と、
       されているようです。
       弥生の民は、この風習を嫌った、と。

       さて、伊須気余理姫は、大物主の血を受け継ぐ姫君です。

       大物主は、後から来た天神に葦原中国を譲った大己貴・大国主命
       と同一視されている神様です。

       後からきた民族に地を譲った・・・ということで、縄文民族の長
       であったのではないか?と推察されているわけですね。

       とすれば、伊須気余理姫は、縄文文化を担う姫君だと言えます。

       そんな姫を輿入れするのに、縄文文化の象徴「鯨面」をした大来
       目命が伝言役が抜擢されたわけです。

       ここで、一つだけ疑問なのは、大来目命は、いつ鯨面を施したの
       だろうか?ということです。

       姫君を説得する直前に施したのだとしたら、これは、大来目命の
       心理作戦成功です。
       いやぁ、あっぱれあっぱれ。

       しかし、もし、そうでなく、大来目命は、元から鯨面を施してい
       て、鯨面を施した人物だからこそ、伝言役に抜擢されたのだとし
       たら??

       神武天皇の時代に下克上はあった、ということになります。
       保守的な天皇であれば、家柄に関係なく才能を見て引き立てるな
       んてことは、なかなか難しいことでしょう。
       そんなことを考えれば、神武天皇という天皇が、堅苦しい支配者
       というだけでなく、気難しくて、我が儘だけれども、新しい時代
       を作り上げるパワーを持った人物である、と思えてくるじゃああ
       りませんか。

       え?あ?
       あ、織田信長、嫌いですか。明智光秀派ですか・・・。
       じゃあ、神武天皇も、嫌い・・・ですか?ですよね〜〜〜。

       ん〜〜〜。神武天皇の新しい魅力、発見したつもりだったのにな。
       ん〜〜〜〜〜。残念。

home 神社のトップに戻ります back