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御机神社

mitsukue




  祭  神:素戔鳴尊
  説  明:境内看板を引用します。
      「当社は延喜式神名帳(905〜927年)に載る古社で、起源は、奈良
       時代に鎮座されていたものと推測される。永禄三年(1560年)三好
       長慶が飯盛山に居城した頃には飯盛城鎮護の神として崇敬も厚かった。
       御机神社古案内文には『・・・古くは現在地の東方字宮地に有ったが、
       文禄年間(1592〜1596年)に字城の堂山に移し更に元禄十三年
      (1700年)にこの地に移転したものである』と記されている。現在の
       社殿は明治十四年に建て替えられたものである。」
  住  所:大阪府四条畷市南野6−12−1
  電話番号:
  ひとこと:「御机神社」という名前は、明治時代に改称されたもので、平安時代は、
      「牛頭天王社」と呼ばれていたそうです。
       ということは、少なくとも、平安時代には、牛頭天皇が祀られていたと
       いうこと。

       延喜式神名帳には、「御机神社」と記載されているようですから、「御
       机神社」という名前が本来の社名なのでしょう。

       しかし、「御机」とは少し不思議な名称ではありませんか?

      「机」という言葉は一体いつごろから使われていた言葉なのでしょうか?
       実は日本書紀にも「机」という単語は出てきます。
       天照大神の命令で、保食神のところへ月夜見命がでかけたくだりです。

      「保食神、乃ち首を廻して国に向ひしかば、口より飯出ず。又海に向ひし
       かば、鰭の広、鰭の狭、亦口より出ず。又山に向ひしかば、口より毛の
       麁、毛の柔、亦口より出ず。夫の品の物悉に備へて、百机に貯へて饗た
       てまつる。」

       私達は、「机」というと、どうしても、「desk」勉強机を思い浮かべて
       しまいます。
       しかし、この一文を見る限り、「机」は「table」食卓という意味で使
       われています。

       講談社の「日本語大辞典」で「机」をひいてみると、
      「『机・案』
       1.食器などをのせる台。
       2.勉強・事務などに使用する家具。木製・鋼製のものがおもで、甲板・
         幕板。脚などからなる」

       とあります。
       つまり、本来、「机」は「table」の意味の方が強かったようです。

       とするとこの神社の名称は、「大切な食物を乗せる台」になりますね。

       ただし、神社の名称は、「字」よりも「音」が重要な場合が多く、この
      「みつくえ」という名前も、
      「み・つくえ(御机・美机・彌机??)」なのか、
      「みつ・くえ(光食え・三つ食え・蜜食え?????)」なのか、
       はたまた、
      「みつく・え(?????)」なのかは、わかりません。
       もちろん
      「み・つ・く・え(御津久江?)」かも。

       ですから、ピントハズレかもしれませんが、この神社がそのまま、
      「御机=食物を乗せる聖なる台」を名称にしたものならば、その神社の御
       祭神が、「素戔鳴尊」というのは、すこ〜しだけ、不思議ですね。

       食物と関係がある神様といえば、上記で引用した日本書紀の文章に登場
       する「保食神」や、「豊受大神」といった神様になってくるんじゃない
       でしょうか?

       ただ、素戔鳴尊と「食事」が全く無関係かどうか、というと、それが、
       はっきりとはしません。

       日本書紀では、月夜見尊が、保食神のもとへ遣わされたことになってい
       ますが、古事記には、素戔鳴尊が高天原を追放された後の話として、同
       じ物語が記載されています。
       ただし、「食料の神様」の名前は、「保食神」ではなく、「大気都比売」
       おおげつひめと読みます。

       高天原を追放された素戔鳴尊は、まず食料が必要になったので、「下界」
       に住む、大気都比売に求めます。
       すると、姫は、鼻や口や尻から食料を出して、提供するんですね。
       なにしろ、彼女は穀物の神様ですから、穴という穴から食べ物を取り出
       せるわけなんです。
      「穀物の尻」から出たものを汚がる必要はないんですが、そこは、それ、
       やはり神様にだって、先入観ってのものがあります。
       須佐男(素戔鳴尊)は、「汚いもの食べさせるんじゃね〜!」と激怒。
       姫を殺してしまうのです。
       すると、その死体から、蚕・稲・粟・小豆・麦・豆が生じるんですね。
       さすが、穀物の神様。

       つまり、大気都比売にとって、「死」とは、「なくなること」ではなく、
       穀物神としての本領を発揮するための、一つの通過点だった、というこ
       とになります。「通過儀礼」ですね。
       そして、その儀礼において重要な役割を果たしたのが、素戔鳴尊なわけ
       です。

       スイッチを押したのが、素戔鳴尊ということですね。

       そして、もう一つ。
       素戔鳴尊の奥さんの名前は、櫛稲田姫。
       お名前からして、「稲穂」と関係が深いのは、間違いないでしょう。

       五穀をこの世に生み出した功績と、稲を妻にしたということ。

       素戔鳴尊の神様が、「食卓」と称する神社にお祀りされるのは、ちっと
       も不自然なことではないようです。      

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