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御厨子神社

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  祭  神:根折神 安産霊神 誉田別命
  説  明:案内によりますと、
      「この地は、清寧天皇『磐余甕栗宮』の跡で、社名の古くは磐余池
       の尻辺に位置するので、『水尻神社』といい、祭神は根折神・安
       産霊神の二柱であったが、應仁(室町時代)より御厨子観音(御
       厨子山妙法寺)が移建され鎮守八幡宮が合祀されてから、『御厨
       子神社』と改称された。
       御祭神
       根折神(根を裂く威力のある神で、生気を授ける神)
       安産霊神(安産の神)
       誉田別命(八幡大神)
       境内の石神 石折神(根折神と同じく生気を授ける神)」
       とあります。
  住  所:奈良県橿原市東池尻
  電話番号:
  ひとこと:根折神と石折神は共に、伊邪那岐命が迦具土神を十拳の剣で斬っ
       た時に、剣からしたたる血から生まれた神様です。
       誉田別神は、言わずとしれた武神、応神天皇ですね。

       が、わからないのが、安産霊神です。
      「やすむすび」と読むのでしょうが、「あんざんのたまのかみ」と
       読んだ方がいい神様かも知れません。

       根折神も石折神も血液から生まれた神様ですから、生命力を司る
       神様だ、というのは説得力があります。

       が、なぜ、池の辺にこの神様が祀られているのか?というのは、
       ちょっと不思議です。

       清寧天皇と関係があるのでしょうか?

       この天皇は、複雑な境遇です。
       即位の時、異母兄弟(と、義理の母)の謀反に合っていますし、
       生涯、妻は娶られていません。
       当然、嫡子も生まれず、父が謀殺した市辺押磐皇子の皇子に、
       帝位を譲ります。

       つまり、「清い」天皇なのですね。

       しかも、この天皇の時代、日本書紀には、こんな逸話が挿入さ
       れています。

       即ち、清寧天皇三年秋、七月、飯豊皇女(市辺押磐皇子の娘)
       が角刺宮で、男と交合をされたが、人に語って、
      「人並みに女の道を知ったが、別に変わったこともない。以後、
       男と交わりたいとも思わぬ」
       と言われた。

       古事記も見てみましょう。
      「清寧天皇は皇后がおありでなく、御子もございませんでした。
       そこで、天皇がお隠れになりました後に、天下をお治めなさ
       るべき御子がありません。そこで帝位につくべき王を尋ねて、
       市の辺の忍歯別の王の妹の忍海の郎女、またの名は飯豊の王
       が葛城の忍海の高木の角刺の宮においでになりました」

       少し、情報が混乱しています。

       同じなのは、天皇に皇后がなかった、子供もなかったという
       ことでしょう。

       しかし、それはおかしいと思いませんか?

       少なくとも、大王・天皇の地位にあるものが、跡継ぎを持と
       うとしないなんてことがあるでしょうか?

       これは、天皇が、皇后を娶る前に、崩御した、と考えるのが、
       自然に思います。

       そこで、飯豊の姫が、「角刺」の宮にこられた。
       これが、天皇崩御の前だとしたら、当然、この姫は、「后」
       として、迎えられたのでしょう。
      「角刺し」にね。

       そこで、姫が、
      「この先、男と交わりたいと思わぬ」と言われたんだとしたら
       ・・・かわいそうな清寧天皇。

       しかし、つまり、それは、「御子ができなかった」ことへの
       言い訳かも知れません。

       そんな天皇の宮に、生気を授ける神・安産の神様が祀られる。

       なんだか納得の話ではありませんか?

       天皇の願いは、きっと、自分の跡を継ぐ、「生気」だったの
       じゃないか、と思いますから。

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