祭 神:闇おかみ神 説 明:今より、1300余年前、天武天皇白鳳4年 「人声の聞こえざる深山吉野丹生川上に我が宮柱を建てて敬祀せ ば、天下のために甘雨を降らし霖雨(ながあめ)を止めん」 との神宣により創始された、丹生川上神社の下社です。 拝殿の奥まで入らせていただきましたが、そのまだ奥に、高い 階段が続き、一番の高みに、本殿があり、神が鎮座されていま した。 闇おかみ神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の御子であり、雨降り の霊験で知られる神様です。 住 所:奈良県吉野郡下市町長谷1−1 電話番号:07475−8−0823 ひとこと:目の前に丹生川の清い(本当に清い)水の流れがあり、夜は、 空に、白い天の川の流れをくっきり見ることが出来ます。 まさしく、「水」の神様。 鳥居をくぐった瞬間に、湿った空気の匂いがして、体が綺麗に なるような気持ちがします。 栞には、「祈雨には黒馬を、祈晴には白馬を献ずることを恒例 としており」となっていますが、境内にあるのは、「牛石」で す。 「なぜ、牛なのですか?」と宮司にお尋ねしましたら、 雨の神様のお使いとされているから、とのことでした。 牛や、馬は生け贄として神に捧げられる動物ではあったようで すが、それは、「神への祈りを運んでくれるもの」「お使い」 として、牛や馬が選ばれたということなのでしょうか? それとも、「神への生け贄」である牛や馬を神がお使いとして 取り上げられたということなのでしょうか? 人間達の「祈雨」「祈晴」という欲望のために犠牲になる、牛 や馬達に対する、申し訳なさが、「神へのお使いへの昇進」さ せる原動力なのかも知れません。 生け贄と言えば、一番始めの生け贄は神話に出てくる「大宜都 比売神(保食神)」かも知れません。 彼女は、殺されることにより、五穀や家畜を生み出します。 神自身が「贄」と言うのは、少しおかしな気もします。「死」 というボタンを押さなければ、発動しない神様であったのかも 知れません。 ただ、「生け贄譚」や、「穀物神の死物語」を読んでみると、 古代の人々にとって、「始まり」は、「何かの終わり」であっ たのではないでしょうか? 何かを始めるためには、何かを終わらせなくてはならない、そ んな感覚があったのではないかと思います。 終わらせる儀式が劇的であれば劇的であるほど、新しくやって 来るものは、大きい。 逆にいえば、大きなものを呼び寄せるためには、よくも悪くも 劇的な終わらせ方をせねばならない・・・そんな感覚があった ように思えてなりません。