祭 神:天御柱神 国御柱神 説 明:天御柱神は、別名、志那都比古神。国御柱神は、別名、志那都 比売神。 天御柱神・国御柱神という神名は、記紀には一切でてきません。 どこに出てくるかというと、「龍田風神祭祝詞」のみ。なのだ そうです。 つまり、この神社の神様は、龍田神社からどういう経緯でか、 いらっしゃったのでしょう。 住 所:東大阪市横小路町2丁目 電話番号: ひとこと:さて、龍田風神祭祝詞とはどんな内容なのでしょうか? 崇神天皇の時代のお話であるとなっています。 「五穀どころか、草一本も生えないことが、長年続いた。 そこで、天皇が神託を仰ぐと、『龍田の神の祟り』であること がわかったので、龍田立野の小野にこの神を祀った」 なるほど。しかし。 「崇神天皇」「祟り神」のキーワード・・・。よく聞くなぁ・・・。 最も有名なのは、三輪山の大物主ですね。疫病が大流行したため、 神託を仰ぐと、夢に大物主がでてきて、「わしがやったんじゃ〜。 意富多々泥古(おおたたねこ。大物主の子孫)をもって私を祭ら せたら、許したる〜」と言ったため、意富多々泥古を河内の国に 見出し、三輪山に「大神神社」を祀ったというのです。 美具久留御魂神社も、大物主命が蛇になって祟ったから、創始さ れているハズ・・・。 「崇神天皇の夢」(つまり、崇神天皇のたてたご神託)には、大物 主命、ひっぱりだこです。 っていうより、「祟り」=「大物主」であると、崇神天皇は無意 識に思ってたとしか思えないですね。現代人の私としては。 しかし、今回は、龍田の神です。 龍田の神は、今でこそ、「志那都比古」「志那都比売」とされて いますが、それは、「風の神同士だから、同じ神様だということ にした」が真相じゃないでしょうか? この時代、龍田の地をどのような豪族が支配していたか、分かれ ば、何かヒントになるかもしれません。 さて、「崇」の字がつく天皇は5人おられます。 「崇光天皇」「崇峻天皇」「崇神天皇」「崇道天皇」「崇徳天皇」 の5方です。 共通するキーワードが思い浮かびませんか? そう、「祟り」なんですね〜〜〜!!! 「崇光天皇」「崇峻天皇」は、非業の死を遂げたというもので、 祟り談は、はっきりとは見えませんが、 「崇神天皇」は、神(主に大物主)に祟られまくってますし、 「崇徳天皇」は、「雨月物語」に登場して、祟りまくってます。 そして、 「崇道天皇」は、桓武天皇に、平安京遷都させるくらいの偉大な る(?)祟り神。 「崇」と「祟」の字が似てるのは、意味がないことではないので しょうね。 「祟」=「出て示」されては困るので、ちょこっといじくって、 「崇」=「山の宗主」になっててもらおう・・・なんて。 信じないように〜〜〜!!!(信じないか)