祭 神:高おかみ神 天兒屋根命 大山祇命 水波能賣命 須佐之男命 埴山姫命 説 明:「主神・高おかみ神は、伊奘那岐大神、其御子・迦具土神を、 切り給へる時、生まれませる神にして、水火を司るの威徳を 具え給ひ、晴雨を調節して、国土民生を安じ給ふ。 蓋し、農を以って国の本とする我が国古来の伝統的民族信仰 として旱天に慈雨を祈るの風潮、野を挙げて後を絶たざりし 所以にして、木津川、淀川の上流の当地に此大神の鎮まりま す事、深く故なしとせず。 随って、古来歴朝朝野の信仰篤く、祈雨止雨の奉幣に預かり 給ふ事度々にして、神階は度々昇叙されて、應和元年、正四 位下に叙せられ給ふ。 延喜の制、貴船・丹生等の社と列び、その神威、赫々たる官 幣の小社に列せられ、所謂式内社として、近畿一円に衆庶の 信仰篤く、以って今日に及べり。 配祀の祭神は、古来聚落の叢祀に奉斉せしを、明治末年に合 祀せり。」とあります。 住 所:奈良県宇陀郡室生村室生1297 電話番号: ひとこと:「大国主命の妻・須世理媛命が宇陀の室生の岩窟に入り、五 百引の石で岩戸の口を赤埴で窟をふさいだ故事により、赤埴 の名が起こった。」 と、榛原町向岩の白岩神社、社記や、赤埴(あかばね)家の系 譜及び旧記には、書かれているとか。 この岩窟が室生龍穴神社で当地へ延暦九年(西暦790年) 遷座、赤埴大明神と称したのだそうです。 ただし、「大和志料」では、 「然とも、須勢理媛と雨師とは、彼此直接の関係を有せず」 とありまして、龍穴神社が、雨乞いの霊験で信仰されたのは、 どういった経緯があるのでしょうか? 「室生山年分度者奏状」には、天応元年(西暦781年)から、 承平七年(西暦937年)までに、29度、勅使や国司が龍 穴神に派遣されて、請雨・止雨の祈祷がなされたが、その都 度霊験があった、と記されているのだそうで、ということは、 西暦781年頃には、既に、当社で雨乞いがされていたので すね。 なぜそこに、須勢理媛・赤埴明神が合祀されたのでしょうか? 大体、なぜ、須勢理媛が、岩戸に篭られたのかがわからない のですが、まさか、請雨の為では、ないのでしょうね? 古来、室生には三龍穴(妙吉祥龍穴・持法吉祥龍穴・沙遮羅 夷吉祥龍穴)があったと伝えられており、この室生龍穴神社 は、そのうちの一つなのだそうですが、どの龍なのでしょう? 拝殿の額は、「善女龍王社」と書かれていますね。 ただし、善女龍王というのは、どうも仏界の住人のようで、 八大龍王と一緒に、「九大龍王」と称せられたりするようで す。 そんなわけで、詳細はわからないのですが、どうもこの神社 は、「女」神に、縁が深いことはわかりました。 「穴」だから、と言ってしまうとあまりにも乱暴でしょうか(^^ゞ。 須勢理媛が篭られ、そして、龍が住む「龍穴」。 私には、雨乞いで有名な神社で、よく感じる「雰囲気」とい うか、「匂い」があるのです。 この神社ではそれを濃厚に感じました。 この「雰囲気」「匂い」は、もしかしたら、龍の息吹なのかも 知れないな・・・、と、この神社で初めて思ったのでした。